目次
- 【アルバム情報について】:このアルバムを考察するのはエグイ
- 【アルバムの進め方】:論文などの文献を手掛かりに、原作と楽曲を考察す
- 【夏の肖像】 :なぜ、画家が主人公となったか
- 【都落ち】:穂積皇子に代理して但馬皇女へ贈る、ヨルシカの幻想的な返歌
- 【ブレーメン】:グリム童話が隠した「骨」の印象
- 【チノカテ】:ジイドと関係する「麦」の意味
- 【雪国】:川端康成の「鏡写し」による芸術表現
- 【月に吠える】:疾患を昇華させた、幻想創作の朔太郎
- 【451】:ブラッドベリの、「燃やす」ことの裏意図
- 【パドドゥ】:ロティの物語を「雅宴画」へ創作変容させた芥川
- 【又三郎】:風の子を、賢治が行ったのように再び創作したヨルシカ
- 【靴の花火】:みにくいよだかに自己投影した作者と、星へ成る転生表現
- 【老人と海】:創作に隠れた、沈むまいとする老「月」と幼い「太陽」
- 【さよならモルテン】:ラーゲルレーヴの描いた千と千尋、そしてある姉弟への別曲
- 【いさな】:神に似た「白い幻想」を創作し続けたメルヴィル
- 【左右盲】:「有用性」の奴隷ではない、「美」こそを求めたワイルド
- 【アルジャーノン】:キイスが示した、迷路に似た「輪廻」
- 【さいごに】:解放感はひとしお
次に取り上げるのは「パドドゥ」です。
この楽曲は芥川龍之介の短編小説『舞踏会』をもとに作られたとされています。『舞踏会』は短い作品で、さっと読むことができるのですが、どの部分が「パドドゥ」とリンクしているのか一見ではつかみにくい印象を受けました。そこで今回は、小説の表面的な読解に留まらず、論文や批評などを通じて『舞踏会』を深く掘り下げ、その関連性を探っていきたいと思います。
芥川龍之介作「舞踏会」考證 : ピエル・ロティ作「江戸の舞踏会」(Un Bal á Yeddo)との比較
大西忠雄
https://opac.tenri-u.ac.jp/repo/repository/metadata/363
P2
察する処芥川もこのロティの印象記を一読して、少なからぬ興味を覚えた読者の一人であつたに相違ない。そしてゆくりなくもありし日本の鹿鳴館時代への郷愁を唆られ、一遍の創作に託して、この活々とした開花の風俗絵巻を伝へておかうとの想ひにかられたものとも想像されるのである。
P3
因みに右二作を読比べて先づ感ずるのは、要するに芥川が如何に換骨脱胎の妙を極めてゐるかといふことである。
P13
元より芥川の「舞踏会」がロティの真実の面影を伝へてゐないことは、今更くり返すまでもないが、仮りに芥川が真実のロティを小説に描かうとした所で、この様なロティの姿を充分な客観性を以て、作中に躍動せしめることは。恐らく至難の業であつたらう。
芥川の『舞踏会』は、ロティが書いた『江戸の舞踏会』をもとに「創作」された作品といえます。しかし、それは単なる翻案ではなく、原作の現実をそのまま描くのではなく、物語として美しく整えたもののように感じられます。原作の『江戸の舞踏会』には皮肉や蔑視のニュアンスが含まれており、それが芥川の創作意欲を刺激したのかもしれません。ただ、芥川はロティに対して反発するのではなく、「創作」という手法を通じて、物語を別の世界のものにしたのではないでしょうか。これは芥川自身が「ロティは豪い作家ではない」と述べている点からも、彼のスタンスがうかがえます。
また、『舞踏会』について調べている中で、興味深い論文を見つけました。
この論文では、小説内に登場する「ワットオ」、つまりヴァトーという芸術家の作品が、『舞踏会』に重要な意味を与えていると指摘しています。実際に読んでみたところ、これまで意識していませんでしたが、この視点は『パドドゥ』の意味を考えるうえでも非常に重要に思えました。
以下に、該当部分を抜き出してみます。
「舞踏会」におけるロティとヴァトーの位相
島内裕子
https://ouj.repo.nii.ac.jp/records/7354
P12
…二人の会話では、ヴァトーが重要な役割を果たす。すなわち、将校は明子のことを、「ワツトオの画の中の御姫様のやう」であると喩える。しかも、それに続けて、「明子はワツトオを知らなかつた。だから海軍将校の言葉が呼び起した、美しい過去の幻も、――仄暗い森の噴水と凋れて行く薔薇との幻も、一瞬の後には名残なく消え失せてしまはなければなからかった」と書かれていることに特に注目したい。…すなわち、現代人にとっては、ヴァトーの雅宴画や、そこに描かれている風景・異称・庭園・樹木草花などが、画集や展覧会を通してすぐに思い浮かぶものであり、(中略)
原作の『江戸の舞踏会』にもヴァトーの記載は見られますが、その表現の使い方は芥川の『舞踏会』とは異なるように思えます。芥川の『舞踏会』では、ヴァトーを取り入れることで、小説全体の雰囲気や色彩が大きく変わっているように感じられます。この巧みな表現こそが、芥川の創作における才能を物語っているのかもしれません。
ヴァトーの絵画がどのようなものだったかについては、以下のサイト様が非常に分かりやすく解説されていますので、ぜひご覧ください。具体的な作品や背景を知ることで、雅宴画が持つ魅力や特徴をより深く理解する助けになると思います。
ヨルシカの「パドドゥ」の歌詞にある「芥川の小説みたいに今だけの想い出になろう」というフレーズは、芥川の『舞踏会』がロティの『江戸の舞踏会』を創作によって作り替えた小説である点と響き合っているように思えます。ここで伝えたいことは、現実のままではない、夢のように美しく装飾された想い出を描こうとしているのではないでしょうか。
さらに、芥川が描いた舞踏会の情景は、アントワーヌ・ヴァトーの雅宴画(フェート・ギャラント)のような雰囲気を想起させるように創られてます。その表現により、現実から離れ、幻想的で美しい世界を描き出そうとしていると想像してみると、『パドドゥ』の情景、つまり蒼天の中、茶色の野原で踊る男女の画というものが、なんだか儚くも鮮やかな幻想を創作によって描いていると解釈できそうです。
さらに、雅宴画についても詳しく知りたいと感じましたので、以下に関連する内容を引用します。この視点を通じて、雅宴画がどのような背景や特徴を持つのかを感じ取っていただきたいです。
吉田朋子
P2
だが、18 世紀には理想的な状況を描いた新しいジャンル「雅宴画」(fête galante)が登場している(図 1)。これこそが、ユートピアの視覚的表現にあたるのではないだろうか。美しく着飾った男女が穏やかな自然の中で、快適に会話や音楽を楽しむ様子を描いた一群の絵画である。 彼らの関心は恋愛の喜びに集中していることが多い。雅宴画の主要な構成要素は風景と人物であり、自然と人間の調和の表現だということもできる。
P8
雅宴画を構成する重要なもう一つの要素は、人間の描写である。豊かな自然の中で語らう男女の姿は、いかに上品に描かれようとも、官能的であり性的な含意に満ちている。
P9
雅宴画に描かれる男女の振る舞いが、すべて品位あるものであるわけではない。しかし、女性が丁寧に扱われる描写はサロン文化のもたらしたものであろう。自然と文明という二項対立はしばしば女性と男性になぞらえられ、豊穣の女神に見られるように、女性に対しては古くから文明ではなく自然が投影されてきた。
P10
現在の私たちから見ると、雅宴画の魅力はそのはかなさにある。ヴァトーの《シテール島の 巡礼》は旅行であり、いつか終わりを迎える。フラゴナールの《サン・クルーの祭》は、ひとときの娯楽を求めて集まった人々を描いている。描かれているのは常に、いつか終わる楽しい時間であり、つかのま現れたユートピアを覗き見ているような、どこか切ない感覚を与える。
この雅宴画が描くのは、美しく着飾った男女が穏やかな自然の中で調和をする姿が描かれます。それは、現実から離れた幻想的なひとときを描こうとしながらも、その魅力には儚さがあり、必然に終わりを迎える楽しいひとときのある、ユートピアのような情景を感じられます。参考に。
はい、ではそろそろ中盤ぐらいですかね。次は「又三郎」です。
又三郎については、別記事を書いたのでそこであらかた調べました。
ヨルシカ 『又三郎』 レビュー Yorushika “Mathasaburo” reviewしかし、今回のように、論文や批評、考察を踏まえながら自分なりに考えてみるのも、大変意義があるように思います。これらの視点を参考にしつつ、自分自身の解釈を深めていくことで、新たな発見や視点が見えてくるかもと思います。
そこで、改めて調べ直し、自分なりの考えをもう少し掘り下げていきたいと思います。このプロセスが、作品全体の理解をさらに深めるきっかけになればと考えています。
まずはこちらのサイトです。
引用元
「風野又三郎から風の又三郎へ」部分より引用
https://tokyoaccent.com/kazeno/karahe.html
①
「SF的な前身形「風野又三郎」から現実的な「風の又三郎」への変化がなければ、風の精、又三郎から転校生三郎への転換がなければ私達はこの異彩を見ることはできませんでした。ではなぜ作者はこのような書き換えを行わなければならなかったのでしょうか。」
②
「宮沢賢治少年小説」(続橋達雄、洋々社)はおおよそ次のようなことを言っています。 より現実的な内容への変化は、農村活動の挫折、苦しい闘病、セールスマンとしての苦闘などにより現実社会の厳しさを味わった作者の、かつては奔放であった夢想の力に抑制がかかり、現実を見る目に変化が生じたことによる。
また、こちらの論文でも同様な記述がありました。
遠くからきた少年 ー宮沢賢治「風の又三郎」をめぐってー
川島秀一
https://www.jstage.jst.go.jp/article/yeiwa/1/0/1_KJ00004746124/_article/-char/ja
P6
ここにおいて、 又三郎が「風の精」としての真実とその姿をあらわします。 〈高田三郎から〈風の又三郎〉への変身です。 いつもの上着の上に羽織った「ガラスのマント」と「光るガラスの靴」は、その変身の象徴です。そのガラスのマントは、いわば空を飛ぶための装置でもあるのです。ここであえて誤解を恐れずに言いますと、 ここに差し出される「又三郎」とは、 単に「三郎」という少年の夢の中にあらわれた人物ではないということです。 たとえば、「幻想そのものの意味」であり、 その「真実」であるということです。
P9
この筆者はさらに、 そうなった理由を「羅須地人協会以後の厳しい現実体験を経た、晩年の賢治の心境」が反映したものだと言い、そこには「空想の空虚さを痛感したであろう賢治」がいるのだと言います。
今回の『幻燈』という作品テーマにおいて、「又三郎」はどのような意味を持つのでしょうか。
宮沢賢治の『風の又三郎』は、もともと『風野又三郎』というSF的な要素を含んだ作品として誕生しましたが、晩年の賢治の心境の変化によって、より現実に近い世界を描写する物語へと変化しました。しかし、その中でも異質な存在である「高田三郎」を配置し、現実社会の中における「幻想」としての又三郎の存在を仄めかしています。この「又三郎」というキャラクターは、どこか救済の象徴として機能しているようにも感じられます。幻燈というテーマにおいてのヨルシカの「又三郎」は、このような原作の背景を踏まえ、「現実に近い世界」の中で「幻想的な存在」を置き、救済を期待しながら、現実と幻想を交錯させるように創作されているのではないでしょうか。
そして、ここからはあくまで推測です。宮沢賢治は当初「風野又三郎」という作品を生み出しましたが、その後、社会事情や現実社会を踏まえ、「風の又三郎」という新たな作品を創作しました。つまり、原作である「風野又三郎」から発展し、新たな意味を持つ作品を生み出したということです。ヨルシカは、この創作の流れを深く理解したうえで、その流れを踏まえ、宮沢賢治自身が行ったような創作行為に挑戦しようとしたのではないでしょうか。その結果として、新たに生み出された楽曲が「又三郎」だったのだと思います。こうした視点から見ると、宮沢賢治が「風野又三郎」から「風の又三郎」に変える際に漢字を平仮名に置き換えたように、ヨルシカが「風の又三郎」の“風の”部分を取り除いたのも、一貫性のある表現として非常に納得がいきます。
この部分もありますから、あながち悪くはないかもしれません。
「春泥棒」以来約5ヶ月ぶりとなるヨルシカの新曲「又三郎」は、
宮沢賢治「風の又三郎」をモチーフに制作。
現代社会の閉塞感、不安、憂鬱さなどを打ち壊して欲しいという想いを風の子に託した疾走感溢れるナンバー。
特設サイトより引用https://sp.universal-music.co.jp/yorushika/matasaburou
次は「靴の花火」です。この楽曲はセルフカバーであり、もともとアルバム『夏草が邪魔をする』に収録されていたものです。それが今回、アルバム『幻燈』の中で再び登場したのには、何かしらの意図やテーマが込められているのではないかと推測できます。
「靴の花火」は既に多くの解釈がなされている楽曲ではありますが、アルバム全体のテーマによって新たな意味を持つ可能性があります。そのため、今回は『幻燈』という文脈において、この楽曲を捉え直してみたいと思います。ちなみに僕自身、この楽曲についてはまだ解釈をしていないため、新鮮な気持ちで取り組みます。それでは、いきましょう。
宮沢賢治童話絵本の研究 : 「よだかの星」の場合
木村東吉
https://cur-ren.repo.nii.ac.jp/records/765
P4
要するにこの絵本は,ほぼ現在の賢治学会における『よだかの星』論の大勢にそって描かれていると言ってよい。よだかの周囲に,原稿用紙やインク壷があしらわれるのは,卓越した飛邦力と鋭い鳴き声をもちながら、夜行性で足が弱く、羽根に華麗さを欠くよだかに、詩人の姿を投影しているからに違いない。・・・,詩人が社会的に認知されていなかった時代の日本的表現というのであろう。本文にない兎の影が登場するのも、鷹とよだかの間に、父政次郎と子賢治の関係を類推させるのも、作品論の流れに沿ったものになっている。
宮沢賢治「よだかの星」(<特集>文学教材研究)
太田正夫
https://www.jstage.jst.go.jp/article/nihonbungaku/14/1/14_KJ00010058185/_article/-char/ja
P1
即ちこの作品が、すぐれた文学作品となっている契機は、よだかがよだかとして生きていた現実の世界では生きていかれなかったところにある。そのような状況へゆかなければならない必然性の重さが、あとの転生を力強いものとしているのである。
P2
よだかの願いは、美しく輝きたいために、ひかりをだしたいことであった。みにくさを転じて美しさにしたいためであった。しかもそれは、死を賭して自らの全存在をかけて行われようとしているのである。
よだか自体が詩人である宮沢賢治自身を投影しているとは、これまで考えていませんでした。しかし、先ほどの「又三郎」の考察でも触れましたが、宮沢賢治自身は順風満帆な生活を送っていたわけではなく、現実社会の厳しさを深く実感していた人物です。そうした背景から、詩人としての自分自身の見られ方を、よだかという存在に重ね合わせたのではないかと捉えています。
また、アルバム『幻燈』の中でこの楽曲が選ばれた理由は、「死からの再生」、つまり転生というテーマにあるのではないかと考えられます。このよだかのストーリーは、よだかが死ぬことで「みにくい」と言われてきた姿を捨て、青い光を放つ星となるというものです。
【原作より引用】
そしてなみだぐんだ目をあげてもう一ぺんそらを見ました。そうです。これがよだかの最後でした。もうよだかは落ちているのか、のぼっているのか、さかさになっているのか、上を向いているのかも、わかりませんでした。ただこころもちはやすらかに、その血のついた大きなくちばしは、横にまがっては居ましたが、たしかに少しわらって居りました。
それからしばらくたってよだかははっきりまなこをひらきました。そして自分のからだがい燐の火のような青い美しい光になって、しずかに燃えているのを見ました。
すぐとなりは、カシオピア座でした。天の川の青じろいひかりが、すぐうしろになっていました。
そしてよだかの星は燃えつづけました。いつまでもいつまでも燃えつづけました。
今でもまだ燃えています。
よだかの星https://www.aozora.gr.jp/cards/000081/files/473_42318.html
さらに、これまで読んできた論文などから、宮沢賢治が仏教的思想を持ち、その中に輪廻転生の概念が含まれていることは理解していました。この思想が『よだかの星』に反映されているように、ヨルシカの楽曲もそれを踏まえた表現として作られているように感じられます。
次は「老人と海」について考察します。この作品については以前、一度記事にしたことがあるのですが、今回はアルバム『幻燈』の中における楽曲としての側面を改めて掘り下げていきたいと思います。
ヨルシカ 『老人と海』レビュー原作を読んだ当時、漁師の生きざまを描いた名作という印象を受け、その躍動感に圧倒された記憶があります。しかし、当時は作品の核心にあるメッセージや深いテーマについては十分に理解できていなかったように思います。そこで今回、改めて調査し、作品について考えを深めてみました。その結果、当時の自分の解釈がいかに表面的であったかを痛感しました。
『老人と海』におけるヘミングウエイの自然 : その二重性とエマソン的自然観
梅沢時子
http://repository.tokaigakuen-u.ac.jp/dspace/handle/11334/1119
Santiago(サンチャゴ)・・・老人
Manolin(マノ―リン)・・・少年
P7
後述するが、Santiagoは月に、少年Manolinは太陽に照応されている事実から、Jungの論ずる太陽神話の構成の中で考えることが可能である。この場合、老人は少年によって再生を成就することになる。
P8
魚釣りは、この作品では、人格完成を目指した精神的統一の過程になっていて、そのことが、社会への連帯につながるという信念に裏打ちされた、日々繰返し行われるところの一種の儀式と見なされ得る。
P8
殊に、The Old Man and the Seaにおいては、魚釣りは、老人の、死を直前にした行為であり、救いが願望されて、お祈り的行為とされている。
P9
John Killingerの解説を借りると、「実存主義の基本的姿勢は、個人特有の自己証明を成就すること」である。老漁夫Santiagoが黒い湾龍の中で大魚まかじきを捕獲する行為がそれに該当する。
※補足 実存主義の参考サイト様
P15
Santiagoを月に、Manolinを太陽に照応させて、月が没し、太陽が昇る図において、再生的、連続的願望を表現している。Santiagoは〈陸地〉においては太陽の照る間も屋内の陰に身を置き、前日の新聞しか読まなく、終日不活溌で、食欲もない。過去の回想にふけるのみである。眠る姿は死人の様だ。(“no life in his face”)一方、少年の方は、当日のニュースに詳しく、日の照る戸外で活動する。ちょうど、日が没し、太陽の出を待つといった図で、日暮れになると少年は老人の部屋にやってきて、老人の午睡を覚ます。しかし、朝になると逆に老人が、少年の部屋に入って少年を起こす。老人はそのとき、沈む月(”the dying moon”)に照応されている。かようにして、老人は、<月>に照応されている〈海〉に向かうのである。この、海における老人の行為こそ、死を決した行為であると言い得る。
P18
…夢の作業は「思想や概念を幻覚に置き換えること」なのだが、「海から延び上がった島々の山頂の白雪」(“the white peaks of the Islands reising from the sea”)のイメージと、それに続く「昏れの浜辺に仔猫のようにたわむれるライオン」(“They played like young cats in the dusk”)のイメージは、Hemingwayの観念を伝えるものである。
⇩
従って、山頂の白雪のイメージは、破壊、死の世界において苦闘し、超絶を目指す姿を意味する。さらに言い換えると、個人の内面の秩序を確立し、調和に達する姿を意味する。
続いて現われる「昏れの浜辺に仔猫のようにたわむれるライオンの群」のイメージは、愛を表現していることと、少年に対応されていることが作品の中で明示されている(“・・・ and he loved them as he loved the boy.”)。・・・このようにライオンの夢は、調和の社会とその発展を願う夢であるといえる。そしてこの最後の夢こそ、願望充足の意味が強い。このようにして、二つのイメージ、山頂の白雪と、ライオンの群は、それぞれ、個人の内的秩序、そして、調和の社会の観念を表現するものである。さらに、少々飛躍すると、個人主義に立脚した民主主義の願望であるとも言えよう。
この論文を読んで、はっと気づいたのは、海に出る行為が「死に赴くこと」を意味するという解釈です。確かに、老人サンチャゴが昔の栄光を取り戻すために成果を上げようとする姿勢は理解していましたが、その挑戦自体が「死」を意味する象徴的な行為であるとは考えていませんでした。結果的に死に至る可能性があることは想定していましたが、この小説全体の意味合いとして「死」を示唆しているとは思っていなかったのです。
さらに、この「死に赴く行為」としての魚釣りは、単に生きるための闘いにとどまらず、「人格完成を目指した精神的統一の過程」として描かれている点にも注目すべきです。魚釣りはサンチャゴにとって、過去の栄光を追い求めるだけでなく、自己と向き合い、自らの存在を確立するための儀式的な行為でもあります。この視点から考えると、死に向かう挑戦そのものが、サンチャゴにとっての内面的な成長と精神的統一を達成するためのプロセスだったと解釈できます。
それを踏まえ重要なのは、老人が「月」、少年が「太陽」を象徴している点です。この月と太陽の関係性は、アルバム『幻燈』における「死からの再生」というテーマと密接に結びついていると考えられます。月が沈み、太陽が昇るというサイクルが『老人と海』に込められたメッセージの一部であり、その再生のイメージがアルバム全体の構成に影響を与えたのではないかと思います。つまり、老人の「死に赴く行為」というものが、少年に影響を与えることが表現されている、と思いました。いわば継承に近いような意味合いがあるかもしれませんね。
そう考えますと、「山頂の白雪」と「ライオンの群」もまた、終わりから新たな始まりへの移行を象徴しているように感じられます。これらのイメージを通じて、ヨルシカの楽曲『老人と海』が伝えるメッセージが、より深い次元で小説のテーマと呼応しているように思いました。