文藝天国 force album “破壊的価値創造” リリースレビュー/Blooming Bungei “inovation”

あとがき

以前、文藝天国のレビューを書いたのが2022年の8月で、このレビューを書いているのが2023年9月です。

それから1年があっという間に過ぎました。

この1年経過をする中で思ったのは、文藝天国の取り組み方は本当に論理的だなあと思いました。

今回は楽曲のレビューですが、夏のアイスクリィム屋さん、香水開発、紅茶のバスセットなど、楽曲単体だけではなく、楽曲派生の創作物を生み出し、それを伝えるために五感へどのように刺激というか、アクセスしてゆくかということを理にかなったように行っているを思います。

「破壊的価値創造」という言葉もですが、文藝天国にとってこれが「開幕」となっているように感じられますので、これからというか、リリース後のライブをはじめとした活動がかなり楽しみです。

そんなことを思いながらブログ記事を書いていたら、23時58分でした。

日は超えないうちにあとがきを終わります。文章訂正などは明日以降まだまだしますが、とりあえずここまで。

長々とお読みいただきありがとうございました。

あらためて、御礼申し上げます。

2023.09.26 どどり

文藝天国 ネクストブレイクアーティスト Blooming Bungei: Next Break Artist

AL「破壊的価値創造」レビュー 『補足の第二幕』 

あらためて、

こんにちは、こんばんは。

どどりです。

この部分まで来られる方はおそらく前回のときも読まれた方かなあと思いながら、

もしかして迷い込んだ人とかいたらお早めに引き返してもらったほうがいいのではと一抹の不安を覚えてます。

でも、今回をきっかけに前回分の文藝天国さんの記事にもアクセスいただき、あっちの方でも迷い込んでいただいたらいいかなあと。

はい、今回も同様になんですが、

僕の多大な解釈を織り交ぜた考察的な内容を以下の文章で書いていきます。

あと、どどりが至る所で残してきました謎のツイートや謎のコメントをこの場で解説できればと思ってます。

この部分ではかなり読みづらいものになると予想してますが、無理なさらずでお願いします。

それでは、第二幕、開幕します。

あ、閲覧条件にはご注意ください。それでは。

ご注意点(閲覧条件)

一、文藝天国のすみあいかさんが書かれた「孤独と芸術」というnoteを必読とします。

本件文章構成について

便宜上、以下の順に文章を書いていきますので、ご容赦ください。

一、緑地化計画の時系列についての考察

二、ゴールデン・ドロップの世界の考察

三、フィルムカメラと奇跡の再定義の考察

四、AL「破壊的価値創造」と楽曲について

五、蛇足の文章:どどりからみる文藝天国とは

一、緑地化計画の時系列についての考察

YOUTUBEのコメント欄にこんな謎コメントを置いてました。

はい、ではこれを解説してゆきます。

まず駅ですが、メインである駅は、「上総川間駅」です。

上総川間駅:小湊鐵道|旅情駅探訪記

上総川間駅とは、千葉県にある駅で、小湊鉄道線にある無人駅です。

こちらのサイトに載っている写真ではmusic filmの映像にもしっかりと映っている、

緑が綺麗で、入り口からは向かいの水田が綺麗に見えるような場所です。

文藝天国「緑地化計画」

しかし、

気づかれましたか。

文藝天国「緑地化計画」

少し前に映ったこの場所、上総川間駅ではありませんよ。

上総川間駅にはこんな場所はありません。

全然、別の場所です。別の駅なんです。

それが、小湊鉄道線にある「月崎駅」です。

『大好きな月崎駅〜。苔や草花に包まれた小屋。癒し❤️』

コチラのサイト様と同じ季節ではないかもしれませんが、

水道蛇口の位置と、

あとこちら。

文藝天国「緑地化計画」

駅の待合室も月崎駅です。

この事を踏まえますと、女の子は家から出て、駅に向かい、電車に乗るんですが、

上総川間駅から乗るパターンと月崎駅から乗るパターンがあることになります。

小湊鉄道の車両ということで、電車そのものは一緒であったとしても、

おそらく映像では上総川間駅からの乗車している姿と月崎駅からの乗車している姿を混ぜて映像構成されています。

それはたぶん、

見ても分かりません。

尚、二つの駅の間では5駅ぐらいほかの駅がありますので、一駅間違えて乗ったというわけではないですね。

時系列的にはどっちが先かということは特に問題ではなく、

同じ姿で、

同じような時間帯で、

まったく別の駅に乗車をする姿が映像となってますので、

「パラレル(平行世界)」なのか、

「リープ(タイムリープ)」しているのかなあと思ったんですね。

それを踏まえて、インタビューでの言葉を引用します。

色彩作家 すみあいか
生きているあいだに行ったことのある場所にだけ、わたしが身体を手放したあとにもまた来れるのではないかと漠然と思う。そしてそのなかからどこで新たな人生を始めるか選べる気がする。
そんなことを考えて、幼い頃は見知らぬ遠い場所へ行くと、魂になったときに自分が来た証をまた辿れるように、いつも髪の毛を一本抜いてこっそり置いてきていた。
わたしにとって、生と死と旅のイメージはなんとなく繋がっている。どれも巡りゆくものだからかもしれないし、旅をしているあいだは、自分の日常を置いてけぼりにして、自分の人生にない日常に入り込むということだから、もしかしたら電車に揺られるあの時間こそが生と死の狭間を揺らいでいる時間なのかもしれない。

文藝天国「緑地化計画」香り、音、映像 三つの表現手段による作品を同時公開

これを読むと、もっと複数の「旅」があることになり、

ループしているというよりも何回も旅をしている、

輪廻転生といったことに近いかもしれませんね。

あと、ゴールデン・ドロップでも書きますが、

文藝天国の映像で、「衣装を選ぶ」という姿がありますが、

個人的な解釈としては「この世界はこの衣装で行こう!」という人生選びをしているような感じがするなあと思ってます。

緑地化計画では、白いワンピースを選んで旅に出るという姿が映ってますが、

これまた、

わかりましたか?

文藝天国「緑地化計画」

衣装の横に、

白い月桂冠に似た髪飾りがかかってます。

これは、

緑地化計画の終盤でも女の子がつけていたものと同じだと思います。

文藝天国「緑地化計画」

こちらですね。

だから、スタート時点ですでに月桂冠のような髪飾りはあったんですね。

それで、緑地化計画の時系列を考えますと、家にを出てから電車に乗って、暗い森の中に行くというのがけっこう分かりやすい流れと思うんですが、

さきほどの2駅の存在、月桂冠、インタビューを踏まえると、この終盤の衣装が時系列としては古くて、いったんことで死を迎えます。

そのあと、家の場面にいくようになる、と考えます。

というのも、女の子が家の中でゴロゴロしている場面なんですが、

この場面ってなんだか不思議な感じがするというか、

ここは現実世界というよりか、

あたらしい人生を歩む前の、なんだか空白な世界に思えます。

説明が難しいんですが、電車に乗って、「光に包まれていく映像」ってのが新しい人生を迎えますのサインに僕は思えているからです。

すみあいかさんが、光の描写を使うときは、なにかしら意味があると思っていて、それが緑地化計画では新しい人生を始めるように僕は思えました。

だから、music filmの終盤に映る、窓は空いているけど、座席には誰もいなくなっている情景は、

光に包まれて、次の旅、というか人生にいったというように解釈してます。

また、

最近発表された「破壊的価値創造(XFD)」では、

4th album「破壊的価値創造」XFD

music filmの時と比べて、座っている座席の位置が変わってますね。

あと、

そうでした、緑地化計画のmusic film内の一部(瞬間)ですが、

文藝天国「緑地化計画」

本を持っている部分もあり、漢字で書かれれている本はわかりませんでしたが、

もう片方は「さかしま」です。

100年前に描かれた”超ひきこもり男”の悲劇

こちらは、まだ読み切れてませんので、現時点では細かく考察できてません。

ぜひ、興味があるかたは読んでみてください。

あと、念のためですが、僕の考察はこんな感じで進んでゆきますので、ちょっと見づらい場合でもご容赦ください。

二、ゴールデン・ドロップの世界の考察

それでは、次はゴールデン・ドロップです。

ゴールデン・ドロップもまた意味深な表現がありましたので、

そこを解釈してゆこうかなと思います。

ゴールデン・ドロップは映像をみてもらうと、なんだか「生活をとめて」の映像でもあるように、

一瞬暗めの映像が入り込んできます。

この暗い部分と、ゴールデン・ドロップ全体の解釈をどうしようかなと考えてましたところ、

特に気になったポイントはこれかなと思いました。

文藝天国「ゴールデン・ドロップ」

そして、

文藝天国「ゴールデン・ドロップ」

これです。

この女の子はなにをしていると思われますでしょうか。

「衣装選び」ですね。さきほども書きました。

しかし、左の衣装はのちほど紅茶染めもする、大きなサイズです。

しかし、その右に掛けてあるものはかなり小さめです。子供用の衣装です。

なぜ、衣装選びをしているのでしょうか。

そもそも子供用の衣装は着れないのではないでしょうか。

でもですね、なぜか、

文藝天国「ゴールデン・ドロップ」

最後に、女の子はこの子供用の服を選んでいるんですね。

この解釈については、ゴールデン・ドロップに関連する「Tea Bag Bath Powder & Bath Milk」の

「ミルク・イン・アフター」を参考にします。

「ミルク・イン・アフター」は、

贅沢なひとりの夜をイメージし、ローズやチョコレート、ワインなどのアロマで香りづけを施した Tea Bag Bath Powder 「ゴールデン・ドロップ」 と、アプリコットやヴァニラなど、思わず幼少期を懐古してしまうようなアロマで作られた Bath Milk 「ミルク・イン・アフター」。 気品ある香りと無邪気な香り、対照的な二つの香の組み合わせがマリアージュを引き起こすメモラブルな入浴体験

文藝天国「ゴールデン・ドロップ」(Music Film)

このように説明してあります。

これは第一幕でも書かせていただきましたが、

ゴールデン・ドロップの映像では紅茶染めのところが強く印象に残っていますが、

不思議とこの「ミルク・イン・アフター」の部分はあまり表現されていないです。

なぜでしょうか。

しかし、子供服を選ぶのと、

文藝天国「ゴールデン・ドロップ」

この、「ミルク・イン・アフター」を入れた後の女の子の表情とはすごく意味深に思えました。

解釈としては、

「ミルク・イン・アフター」を入れたあとに抱いた感情と、子供服を選ぶという行動により、

もういちど生まれ変わろうという意思があると思いました。

となると、

ここも、生でも死でもない境目、

これを「天国」というのか分かりませんが、

この場所から出て光のある場所に行くことで生まれ変わりをする、ということなのかなあと僕は思いました。

フィルムカメラと奇跡の再定義の考察

次は、「フィルムカメラ」と「奇跡の再定義」についてです。

(つながっている印象を持っていますが、ここでは「フィルムカメラ」からの解釈のみを展開します)

この2曲は前作の「マリアージュ」の続きとしての位置づけということでしたが

どんなかたちになっているかというと、

マリアージュのmusic filmであった「別れ」から期間が経った後の物語です。

マリアージュでの別れでは、美の隷さんが演じる女の子と壊死ニキさんが演じる女の子(男の子)との間で、

見ようとしているモノ、将来の方向が違ってきて別れにつながった、と解釈してます。

そのあとの物語についてを表現したのが今回ということ。

そこでは、

シンプルに泣いてしまいました。

というのも、「マリアージュ」のストーリーの続きを描いてあるっていうのもありますが、

結末を解釈するとどうしても、残念というか、そういう気持ちになりました。

解釈をするとしたら、

マリアージュの最後の場面によって、二人ともそれぞれの方向性っていうのが、

一旦区切られて、別々の生活・人生を歩むようになりました。

美の隷さんの方はおそらく新しい出会いがあり、新しい生活を始め、

子供を授かっているような場面も映像に見受けられました。

一方、壊死ニキさんの方は、

美の隷さんのことを忘れられず、ずっとずっと心の中に美の隷さんがいるような状況のままで、

マリアージュでの別れのときから次の場面へ行けないままでいる状況でした。

象徴的なのは、

文藝天国「フィルムカメラ」

このmusic filmに出てくる「花びら」。

この花びらは、

文藝天国「マリアージュ」

もともと美の隷さんの頭についていた花びらです。

経緯はマリアージュの動画でご確認ください。

そしてこの花びらは、

「フィルムカメラ」のmusic filmでは、

文藝天国「フィルムカメラ」

美の隷さんが取っていく映像があります。

この花びらを壊死ニキさんから取る行為というのは、

実際の映像ではなく白昼夢といういうか壊死ニキさん自身が頭で描いた像と推測します。

この花びらを取るという行為は、

これ以上、立ち止まり続けないで

ということを表現しているのかなあと思いました。

このmusic film内での花びらの表現はすごく素敵で、

この場面のすぐ後に流れる、

「二人で部屋の窓際に座っている場面」

も壊死ニキさんが創り上げた像であり、窓のところには花びらが1枚ひっそり置かれてます。

これも意味あってのものだと思います。

また、

これは、マリアージュのときもありましたが、同じ方向を向いてゆくことはできないという場面です。

文藝天国「フィルムカメラ」

美の隷さんがこの地図を見た後、

ゆっくりと返してます。

そしてこの場面では、

文藝天国「フィルムカメラ」

あの、「ロシア語の句読点の基本」がきました。

前回同様、この本(実際は容れ物)が出てきたときは、

句読点を打たれたように、文章が途切れる、一旦の終わりを迎える、ということになる

と僕は勝手に解釈してましたね。

だから、これを観たとき、瞬時に、

「まじですか・・・」

とうなだれました。

これがあるだけで、結論への方向を示されてしまっていると捉えているからです。

そして、最後です。

これは僕の主観極まりないのですが、

文藝天国の歌詞と映像は一つの楽曲で異なる意味になることもあり、同じ意味になることもあるようですが、

同じ意味になるときの前例としてあるのが「シュノーケル」。

この楽曲には、僕は強い印象が残ってます。

シュノーケルは最後の部分で歌詞と映像とで同じ意味を持たせた、と僕は解釈してます。

あれは、手向けだと思ってます。

それで今回、「フィルムカメラ」では「シュノーケル」と同様、歌詞と映像とで同じ意味を持たせている気がします。

それがどういう意味を持つかといいますと、

歌詞

「光を切った指の間で僕は終わる。

 これが、最後の一枚だ。

 君の愛だ!

 フィルムの切れた僕のカメラ。」 

  ~文藝天国「フィルムカメラ」より歌詞引用

        

(フィルムカメラで撮る映像は記憶の一部、壊死ニキさんにとっての人生の一部である。

  それが最後の一枚となるということは、もう今後に撮ることがないということ、と解釈。)


映像

文藝天国「フィルムカメラ」

  フィルムカメラのシャッター音がなったときというのが、

  最後の一枚を撮り、そこで暗転。そのすぐあとの映像は頭のなかの像であるが、

  この場面では「走馬灯」と解釈します。

  そこでの映像は、衣装が「マリアージュ」のときの黒い衣装に近いものです。

  過去の自分の像を描く映像となっていて、壊死ニキさんが少し微笑んだのちに目線を下に向ける様子は、

  「諦念」の感情に思えました。そして、この目をつむったままの映像で作品を終わらせず、

  最後のカットにて壊死ニキさんが寝そべっているようにボートと靴が映し出す表現をすることで、

  ここで人生を終わらせたという意味を映像に持たせたと捉えます。


 あくまで解釈にすぎませんが、

 歌詞と映像の意味合いが一致しているので、ここで人生を終わらせたとするのが僕は通っていると思いました。

となりました。

だから、泣いてしまいましたね、僕は。

AL「破壊的価値創造」と楽曲について

はい、では実質最後になる考察です。

また、変なコメントをYOUTUBEのコメント欄に残してました。

いつにもまして、意味の分からないコメントを綴っていて、

申し訳ないなあと思いながら解説いたします。

テレビについては映像であるんですけど、

「UNC」っていう言葉っていうのは意図的にぼかしました。

ほかのコメントでもありましたが、

これは、

文藝天国「破壊的価値創造」

この文字がいっぱいある部分のことです。

このテキストを調べてみると、

「United Nation Charter」が出てきます。

日本語で言うと、「国連憲章」です。

ということは、この場面で国連憲章内の英文で埋め尽くされているようになっているということです。

それを略して、「UNC」って書いてました。

いったんは、この国連憲章を覚えていてもらえればOKです。

また、この動画のストーリーはというと、

女の子がこのモニターだらけの部屋から白い衣装を纏い、街を歩き、建物の屋上にいくような流れになっていると解釈できます。

このモニターだらけの場所が時系列のスタートになるということを覚えておいてください。

そのあと、屋上に行って、

エフェクターボードを広げ、

アンテナを持ち、

文藝天国「破壊的価値創造」

文藝天国「破壊的価値創造」

ギターを高くつき上げる場面で終わります。

でも、一体、これらは何を意味するか、それを考えないといけません。

その考察をします。

まず、さきほど書きました「国連憲章」のくだりですが、

なぜ国連憲章なのかというと、

女の子がもともとモニターの部屋で観ていたものは、

文藝天国「破壊的価値創造」

楽しい映像でしたでしょうか。

これは世界中の出来事をモニターで映し出しているようで、

マイナスな出来事ばかりが映ってます。

それに対しての反応が、

文藝天国「破壊的価値創造」

これです。

ここで解釈すると、女の子がモニターだらけの部屋から外へと出ていった理由なんですが、

「国連憲章ができてから何年も経つけれど、いまだ世界中では戦争や紛争といった争いは絶えず起きている。

 悲しみはまったくなくなっていないし、平和になっていない現状に衝撃を受けた。

 だから、大きなものにただ委ねるのではなく、自分が立ち上がって世界を変えていかないといけない」

と決断したから、考えました。

特にそのニュアンスが感じられたのが、このアルバム一曲一曲というよりも、

「破壊的価値創造」というアルバム名を付けている点、

そして「破壊的価値創造」という名の楽曲自体にです。

触れる点としてはこれです。

今回のアルバムは「fourth AL」ではなく、「force AL」となってます。

文藝天国さんの配信では、「forceは力という意味・・・」とお話をされてましたが、

この点、僕はダブルミーニングがあると思っていて、

「武力」また「部隊」の意味を込められていると考えてます。

それは、

文藝天国「破壊的価値創造」

ナイキのエアフォース1を履いている点が一つ。

(エアフォース”air force”は空軍を意味します。ちゃんとわかるように映像が作られてます。)

ナイキ 人気モデル エアフォースワンについて

また、

これは確かインスタ配信のときでしたが、

アーティスト写真のイメージについてお話されてました。

文藝天国アーティスト写真https://images.app.goo.gl/NGdQTHepUy5wvqjW8

衣装には僕はまったく詳しくないのですが、

軍隊(ミリタリー?)をモチーフにしたものらしいです。

そしてこの写真の構図として、

「陸」「海」「空」が一つの写真にすべて映っているように撮られたものとのことです。

これは話されているのを聴いてはっとしました。

また、トランシーバーや、カメラ機材をバズーカに見立てる感じが凄くいいなと思ったのを覚えてます。

このように、武力のニュアンスを動画と写真に入れているのは分かりますが、

もちろん、銃をつかっているとか爆弾をつかっているとかそんな話ではなく、

あくまで、「音楽」を武力にしているということかなと思います。

だから「破壊的価値創造」のmusic filmでも爆弾ではなく、

エフェクターボードだったり、オーディオ機材といったものに置き換えたりするのは、

文藝天国にとっての武器というのは「音楽」であり、

その武器を使うための道具が「機材」であるんですね。

そして、内容に戻りますが、

女の子は屋上で音楽を鳴らそうとするのですが、ただ鳴らすのではなく、

「標的」を定めて、ギターを大きく突き上げているように思えます。

どこを狙っているか、何を求めているのでしょうか。

明確な答えは難しいですが、さきほどの女の子がアンテナを立ててましたが、

これと比較のように出てきているのが、

4th album「破壊的価値創造」XFD

スカイツリーです。

このXFD内でも、文藝天国ホームページ内でもスカイツリーは出てきてますが、

このスカイツリーに、

「拙い音が核爆発を起こす」

という白文字をかぶせてありましたので、なんらかの意図が感じられました。

それについては、スカイツリーを使ってなのか、スカイツリー自体をなのかはまだ解釈が必要かと思います。

ここでのスカイツリーはもちろん色の点で採用されているのもありますが、

文藝天国にとってのスカイツリーは

「電波塔」

としての役割を担うスカイツリー、として捉えていると思います。

というのも、

AL「破壊的価値創造」のジャケット写真から察することができます。

これです。

https://images.app.goo.gl/9iMrPK81CwVor6sy7

もう、これです。

これをみてください、としか言えません。

これについて、つぶやいてました。

そうです。

富士山レーダードーム館です。

https://fujiyoshida.net/spot/13

富士山レーダードーム館/富士の国やまなし観光ネット 山梨県公式観光情報

この富士山レーダードーム館については、

どんな建物かを知らないと意味が分からないと思います。

これを読んでみてください。

1964年から2001年まで、富士山頂の剣が峰に設置されていた『富士山測候所』のレーダードームが移築され、2004年4月24日に開館しました。

1959年に上陸した伊勢湾台風の甚大な被害を受け、台風の砦として1964年9月から1999年11月まで35年間運用されていたレーダードームです。

現在も富士山頂には『富士山測候所』は存在していますが、ドームは取り外されています。

今となっては富士山頂にレーダードームがあった風景を知らない方が多いかと思われますが、往年の富士山登山者の方は懐かしく感じるのではないでしょうか。

富士山レーダードーム館 | 世界遺産富士山を知り尽くす (fujisan-navi.com)

もともとは、

富士山の「山頂」にあり、

35年間運用していた凄いものなんですけど、

大きなポイントは、

富士山レーダードーム館 | 世界遺産富士山を知り尽くす (fujisan-navi.com)

このドームの中には、

巨大なアンテナが入ってます。

その当時、このアンテナを含めた施設を富士山に作るのがどれほど過酷なものか、

プロジェクトXという番組でも取り上げられているぐらいの物です。

プロジェクトX 挑戦者たち|番組|NHKアーカイブス

そして、

文藝天国では、AL「夢の香りのする朝に」でも、

大きなアンテナがジャケット写真となってますね。

これは、

JAXA内之浦宇宙空間観測所 / JAXA Uchinoura Space Center

JAXA内之浦宇宙空間観測所のアンテナです。

※諸説あります。茨城県のものとか。

このように、電波塔をジャケット写真に入れたり、映像に組み込むこと意図はなんだろうとぼんやり考えているとき、

これかなと思ったのが、

公式でも名乗っているこの言葉。

オルタナ的藝術徒党

この「徒党」というのは、

[名](スル)ある目的のために仲間や一味などを組むこと。また、その仲間や団体。

徒党(ととう)とは? 意味や使い方 – コトバンク (kotobank.jp)

このような意味の言葉です。

この意味的に何を表すかというと、

「マス(大多数)」とは一線を画した、少人数な一味といういようなニュアンスを意図してつかっていると思いますが、

「破壊的価値創造」のmusic filmを観てください。

文藝天国として行っているのは、女の子にエフェクターボードを渡すところもですが、

それよりも、

前段階として、

文藝天国「破壊的価値創造」

このカセットテープを女の子が聴いてます。

これは、

force album​「破壊的価値創造」​カセットテープ版、これだと思います。

なので、解釈は、

「カセットテープを聴いた女の子が立ち上がり、徒党の一人として動き出す。それはたとえ一人であっても、小さなアンテナを立てて。」

ということかと僕は思いました。

この「徒党」というのは、いわば

文藝天国の音楽を聴いて同じ意思をもつファンを増やしていく物語

というのが、この言葉から生まれていくのかなあと思いました。

文藝天国の四班がクリエイティブなところを創り上げていきますが、それを受け止めていくのがファンになるのでしょうか。

そして、AL「破壊的価値創造」の構成ですが、

一曲目の「フィルムカメラ」から「幸せの再定義」までが文藝天国の物語でありながら、

最後にくる「破壊的価値創造(もっと!)」は、

文藝天国が掲げた目的に対してのスタンスを表明する

というような楽曲になっていると捉えました。

だから、

「幸せの再定義」の楽曲に食い気味に入っていったのは、ちょっとそういう意図もあるのかなあと思いました。

さいごに蛇足の文章:どどりからみる”文藝天国”とは

長々と文章などを連なってきました。

お疲れ様でした。

ありがとうございました。

さいごに、僕からみた”文藝天国”について書いてみます。

僕は勝手ながら、文藝天国の活動を知っていく中、

いつぞや思い出したのが「るろうに剣心」という漫画でした。

別に「るろうに剣心」の活動と重なるとか、

徒党だとかそういうことではなく、

ある言葉なんですね。

それがこれですね。

【るろうに剣心】緋村剣心の物語を追う[人誅] – 紫の物語的解釈

るろうに剣心の漫画というと、3部構成になっていて、

そのうち、3部目の部分はあまり人気はないところなんですけど、

幼心に凄い心に残った言葉があります。

「人誅」

これは、意図的な造語なんですね。

というのも「天誅」という言葉があって、それは

〘名〙

① 天の下す誅罰天罰

※本朝文粋(1060頃)二・応討平将門符〈尾張言鑒〉「皇天自可天誅」 〔杜甫‐承聞河北諸道節度入朝歓喜口号絶句〕

② 天に代わって誅罰すること。

※続日本紀‐宝亀一一年(780)六月辛酉「候機乗変、恭行天誅者」

太平記(14C後)三「只天の譴(せめ)を招き候上は、衰乱の弊(つい)へに乗て天誅(テンチウ)を致されんに」 〔孟子‐万章・上〕

コトバンク https://kotobank.jp/word/%E5%A4%A9%E8%AA%85-578504

こういった意味なんですが、漫画内ではそれを意図的に転じて「人誅」という言葉を使ってます。

この意図というのは、

「悪に対して天が罰を下さなくとも、(人である)己が天に代わって罰を下す」

というものです。

文藝天国は、そんな漫画の中にあるような物騒な天誅とかとはまったく無縁なので、

誤解しか生まない表現なんですけど、

音楽、藝術に対するスタンスはこれかなあと僕は思ってます。

僕の中での文藝天国のスタンスというのは、

「たとえ寿命やなにかによって

いずれ天国に召されるその時が来るを待つのではなく、

  今生きているこの現世で、天国を創り上げてやる」

というものと解釈をしてます。

文藝天国の活動には強い意志がある。

そういうことを長々と変な蛇足な文章で説明してみました。

いやー時間かかりました。これにて最後です。

あとで誤字脱字とかは直したり、変な表現は修正しますが、とりあえずここまでです。

ありがとうございました。

以上

どどり 

(自称 文藝解釈班)

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