ヨルシカ:「月光再演」レビュー Yorushika: “Moonlight Revival” Live Review

https://twitter.com/nbuna_staff/status/1482914279166672898

こんにちは、こんばんは。どどりです。今回は久しぶりのヨルシカさんの記事になります。がんばります!ちゃんとネタバレを含んでいると思いますので、ご注意ください。

ヨルシカ LIVE「月光再演」Yorushika LIVE “Moonlight Revival”

こちらです。少し前に発売されましたライブDVD「月光」で、2019年にあったライブを再度2022年開催したものを映像にしたものです。

今回のレビューについて About this review

今回のものは新しい楽曲ではなく、AL「だから僕は音楽を辞めた」とAL「エルマ」の中にある楽曲をこのライブのために組み合わせて物語の一部を表現したものなんですが、その折々にて、ポエトリーがあったり、DVD特典として地図がついていたりなど、ちょっとブログに書けることがあると思ったので、今回記事にしようと思いました。演奏のテクニカルさについては適当に書いていきます。なのでそこのところは勘弁してください。あと、実際に「月光」のライブのリアル感などは他の方のブログ、noteが面白いので、ちょこっと貼らせておきますね。参考になるブログは貼らないとね。

さて、こういった事前情報を前提に僕のレビューに入っていきましょう。

月光再演レビュー (一個一個、映像を観ながら書きます。)

1)海底にて At the bottom of the sea

ちょっと文字で図式を。

【大枠:想像力という海】

<遥か上>表現の波

<今いる場所>深い海の底

<真下>言葉の砂漠

という風になってます。

ここでのニュアンスとしては、言葉がたくさんあっても「僕ら」は表現が出来ているとは言い難い状態なのだと。

そして、今いる場所から見える月明かり、つまり『月光』は表現の波よりももっともっと遠くから届いているものである、という感じでしょうか。また、「僕ら」をくじらに表現していますが、くじらって、人間に近い知性を持っているらしいです。

クジラの知能

歌も歌うらしいです。

この動画はくじらの声らしいですが。

どうでしょうか。

また、ライブの内容とは関係ありませんが、ちょっとだけ。

くじらの中には52Hzの声を出す個体がいるらしく、かなり珍しいため、海外で映画が作られていたりしてます。

52Hzでは他のくじらと意思疎通ができないため、「世界でもっとも孤独な鯨」とも呼ばれているみたいです。

初耳でした。

そして、ライブのポエトリー分に戻りますと、くじらに当てはめてか分かりませんが、エイミー曰く、欠けてしまった何かを探し求めているとのこと。ここで気になったのが、「僕ら」っていうのが、エイミーとエルマだけなのか、それとも人間一般を示すのかが分からなかったですね。

どうなんでしょうかね。

2)夕凪、某、花惑い Yuunagi, certain, flower madness

まず最初の楽曲です。

曲の出だしからかっこいいなあという印象です。

暗いステージからライトなどを上手く照らしていました。

演出がすごいなあと思いました。

あと、思ったのは、

今回、形式としてはライブDVDであるんですけど、ブックレットが付いていて、かつ一個一個の楽曲の歌詞を載せていました。

そんなこと、普通ないので、僕は不思議に思いました。

ポエトリーがあるからそういう仕様にしているのだといえばそうなんですけど、これは、ナブナさんが個人で製作していた「月を歩いている」みたいな魅せ方に近いのかなとか勝手に思いました。

月を歩いている (本番はnoteで!)

3)八月、某、月明かり August, certain moonlight

次は、「八月~」です。

この楽曲の時の、背景で写っているMV映像が個人的には大好きでした。一番好きです、この魅せ方。

「八月~」の映像は、エイミーが夜に東京の街を逃げながら走っているような映像となってました。

これは、「八月~」の楽曲の歌詞にもあるように、バイトを逃げ出している状況(実体験みたいですけど)で、しかし自分の足で走っているのではなく、自転車を漕いで逃げだしている。

実際に何も追いかけてきてはいませんが、そういう「逃げている」という心情を再現しているのでしょう。

この映像で特に光るのを感じたのは、文字のカッコよさです。

背景映像自体は暗い夜に設定し、表示される歌詞を白い字体で表現しています。

分かりやすくするとあれですね。

夜に懐中電灯を急ぎで降った時に、光の残像が残るようなのを分かりますか。

今、思い出したのは、バンプオブチキンの「メーデー」というシングル曲のジャケットですね。

こんなのです。

これをもっと細く、白くしたような感じですね。お洒落ですね。

また、少し細かいですが映像のところでポイントがありました。

背景、つまりほとんどのもの輪郭が白い線でなぞっている表現がしてありました。

わかりますでしょうか。

これはあれですね。バンアパのが分かりやすいかもですね。

https://www.youtube.com/watch?v=4qSo9-HlsWk

こんなのです。バンアパ、お洒落で好きです。

戻ります。

あと、この映像ではエイミーがただ逃げているわけでなく、ちょくちょく後方を振りかえって確認してます。わかりますか。

追手があるわけでもないのですがなにかが追いかけてきていると「錯覚」して、何度も何度も振りかえってます。それが映像として、振り返るように画面を振っています。こだわってますね。

そういえば、この「月光再演」DVDの全体で、映像においてエイミーの筆跡をもって曲の歌詞が表示されてます。

基本的はエイミーの筆跡がほぼ全て、特典の地図ではエルマが書いたような筆跡が出てきてます。

この筆跡もポイントでしたね。

エイミーの筆跡は以前に書きましたので、今回は省略です。

ヨルシカ「エルマ」 補足レビュー  Yorushika “Elma” Supplementary Review

4)関町にて At Sekimachi

ナブナさんの語りパートになります。

関町は東京のようです。

ここではなんといいますか、海の底に潜っている状態で聴いているような音粒に思えました。

エイミーが「だから僕は音楽を辞めた」という作品を作るのは、いわば自分の人生をかけた作品として残すこと、それをエルマに残すこと。それを決心してます。

あと、「君の弾くピアノが鳴った」とあるんですけど、別のアルバム「盗作」の物語の兼ね合いもあるから「月光」ピアノなのでしょうか。「月光」ピアノっていうと、ヨルシカの場合は「伝承」の色がある気がするんですよねえ。

ヨルシカ 「盗作」補足レビュー Yorushika “Plagiarism” Supplementary Review

命が無くなる前に、引き継ぐっていう感じですかね。

5)藍二乗  Indigo Square

次は藍二乗です。

藍二乗では、映写機で回していると思わされるように「フィルムで映されているような映像」となってました。

ちょっと古く、過去を感じるような魅せ方ですね。お洒落ですね。

そこで気になったことがあります。

映像の左右の側にある数字がなんどもなんども写されてました。

ちょっとメモしました。

横のFILMの数字について

左側

4500K (色温度で、4500ケルビン。)

069

148

247

右側

069→03A

017→03A

4,500K→05C

054

09A

ネットを使っていろいろ調べてみましたが、この数字が一体何を表すものか、まったく分かりませんでした。

とりあえず次の曲に行きましょう。

6)神様のダンス God’s dance

次は「神様のダンス」です。これはエルマ詩の曲です。

神様のダンスでは、左から右へ電車が走っている映像ですね。

僕が書いたAL「エルマ」のレビューを確認したところ、

ヨルシカ 「エルマ」 レビュー  Yorushika “Elma” Review 

この「神様のダンス」はスゥェーデンのストックホルムでエルマが書いたものなんですけど、どうも「エイミーの面影を追っている途中で、自暴自棄になりそうな心情を歌っているように」という楽曲であると、数年前にレビュー記事を書いた僕は解釈していたらしいです。

書きあげたのはストックホルムだけど、日本から来て、コペンハーゲンからストックホルムまでの間を移動する電車(日本の電車だけど)を表現したのかなと思います。

7)夜紛い at night

次は「夜紛い(よまがい)」です。これは最初から日本の映像なんです。

「八月~」と同じ雰囲気・ニュアンスに思えるんですけど、あくまでこのライブではエイミーの走馬灯を表現しているという建付けであるので、別人であるエルマの楽曲の映像は割と抽象的である一方、エイミーの楽曲になるとエイミーが実際に知覚したであろうという風景をおとし込み、綺麗な映像で表現しているんだろうなあと思いました。それに力を入れることが本質なんでしょうね。

(「八月~」、「藍二乗」、「夜紛い」はエイミー楽曲。)

と、考えると楽曲「エイミー」が入ってくるはずないか、と納得しました。

また、映像を見ていると思ったのが、エイミーは「だから僕は音楽を辞めた」という作品を作るために意思をもってスゥエーデンを訪れ、いろいろと巡っていたと表現できるのですが、エイミーが日本にいた時というのはまさに彷徨っているという状態だったということが映像から受け取れます。

8)雨の街について About Ame no Machi

これは語りパートです。エイミーが日本にいたとき、エルマと会っていたときのこと。

それで、個人的にはこの部分ってかなり重要なんじゃないかなと思ってます。

というのも、他の作品につながるワードがここで出てきてるんですよね。

エイミーがなりたいものがいろいろ列挙されてます。

  1. 美術館の見知らぬ絵画
  2. ピアノの音色
  3. 路傍の花
  4. 夕暮れ
  5. 潮風と月明かり
  6. 真夏の雲
  7. 朝焼け
  8. 言葉

がっつり1個1個は調べませんが、僕はこのうち、

「朝焼け」ってのが気になっていて、ツイートもしました。

勝手に思っているのを「説」としてますが、ノーチラスの最後の方で泣いているエルマに対し、朝焼けの光が顔にすっと差します。それに気づいて顔を上げたエルマが泣き顔で朝焼けの方を驚いたように見ます。そのあと、朝焼けに向かって歌を歌っているようなMVです。

ここで僕が思ったのが、もしエイミーに向かって歌うのでしたら普通に考えると「海の底」に向かってのはずなんですね。でもそっちは目もくれず、ギターを抱きしめながら朝焼けに向かって歌う。これは解釈として、エイミーの亡骸(海の底に沈んだエイミー、形見のギターケース)ではなく、朝焼けのエイミーを感じたのではないでしょうかね。

となると、ここでエイミーがなりたいものに「朝焼け」があったので、エイミーが朝焼けに生まれ変わり、エルマに、

「もう目を覚まして。見て。」

ヨルシカ 「ノーチラス」 歌詞から引用

と言っているということになるんじゃないでしょうか。

(しかし、これをいろんなところで言っているんだけれど、一向に良い反応されないんですよね。なぜだろう。)

9)雨とカプチーノ rain and cappuccino

次は「雨とカプチーノ」です。

この楽曲が流れていた時に気づいたのが、映像に特にエフェクトがかかっていたことです。

これはなんというかですね、深海に潜っているときに、フワフワした白いものがふわふわ舞っているというイメージか、窓ガラスに雨の水滴がつき、ゆっくりと下に流れ落ちていくようなイメージでしょうかね。

終始、そういったエフェクトがかかっていて、数回見たときには普通に思えていたものが、「あれ、これはふつうじゃない」と気づいたんですね。

このエフェクトなんですけど、今日が7/8で、昨日までは雨の街の記事を書き、今日はこの雨とカプチーノからやっていこうとしてました。それで、チャプターからこの雨とカプチーノを選ぼうとしたんですね。でも、そのチャプタのーの画面ていうのが3つあるんですけど、3つとも違っていたんですよ。

【01チャプター ~ 08チャプター】までの画面

暗い海の水面上が揺れるような映像。

【09チャプター ~ 16チャプター】 までの画面

上から下へ、雪が舞っているような、窓ガラスを水滴が滴っているような映像

【17チャプター ~ 24チャプター】 までの画面

下から上へ、クラナドの最終回に出てくるような、

みたいに白くてふわふわしたものが上がっていき、たまに流れ星が移る映像

という感じです。

だからチャプターを開いて、ちょっとだけぼんやり見るようにしましょう。

お目当ての楽曲をすぐにポチっとしてはだめです。

あと、クラナドの何を言っているかというと、ちょっと映像とか画像は出しづらいのですが、とりあえず、クラナドアフターストーリーの最終回まで見ていただいたら分かります。

TBSアニメーション 「CLANNAD AFTER STORY」公式ホームページ

10)六月は雨上がりの街を書く In June, write the city after the rain

はい、次です。「六月は雨上がりの街を書く」です。

「六月は~」についてですが、これは「だから僕は音楽を辞めた」の楽曲なのでエイミーの記憶として考えるため、再び映写機を使って流れているような映像でした。

しかし、この楽曲で顕著に感じたのは、演出というよりも、カメラアングルを含めた、魅せ方が凄く考えられているということですね。というのも、

・街灯とsuisさんが移っている状況 → 上からスポットライトを当てている状況だけ移すのではなく、手前側に街灯を置くことで奥行き(同じ映すとしても、奥側にあるとして、映像とsuisさんとの間に距離がよりあると印象付けられる)を感じさせていました。

・ナブナさんがギターを弾いているときに、ライトの光の具合により、光の輪ができるようにしてました。ただ、暗いシルエットのギタリストを移すのではなく、「光」を調整することによって、鮮明に見えない良さというものを映えさせている。

ということでしょうか。

これだけか分かりませんが、たったこれだけでも、DVDという映像にする際に、どんな風に魅せたいかっていうものを考えつくされている、そんな気がしました。ふえー。

あと、この楽曲のとき、歌詞の文字の字体(筆跡?)がやや違っていた気がしましたかな。

11)雨晴るる clear rain

次は「雨晴るる」です。

雨晴るるでは、楽曲が始まる前の入り部分がちょっときになりました。雨と、雨水がしたたる乾いた音、人の話し声といったSEが流れてました。4つ続けて、雨にかかわる楽曲とポエトリーでしたから、これが雨の街を表現していると推測ができますね。

また、ところどころsuisさんにライトが当たった時に綺麗に光輪っぽいものができてましたね。そして、これ以降からゴットランド島のヴィスビーに場所が変わります。

12)ヴィスビーにて at Visby

このポエトリーは、

「天国に一番近い場所を探していた。」で始まり、「天国に一番近い場所を探している。」で終わっている。

結論から言うと、エイミーが最期の場所に選んだのがこのゴットランド島です。

なので、ゴットランド島という場所を見つけることができたということで、「探していた」なのかなあと。

それでも、ゴットランド島の中で、かつより一層、一番近い場所を探してエイミーが彷徨っていたということかな。

あと、やっぱりこういうHPもみときましょう。

いいですねえ。

でも、このポエトリーがあることで、ゴットランド島のどこかの桟橋というのが、エイミーが選んだ「天国に一番近い場所」であるといえます。おそらく、ヴィスビーを出て、北北東に向かって海岸線のところで桟橋が3か所ぐらいグーグルアースで見かけました。(写真もライブの特典で付いてたみたいですね)

13)踊ろうぜ ~ 歩く Let’s dance ~ walk

次は、二つの楽曲を一つにまとめて書いてみます。

「踊ろうぜ」はエイミー曲ですから、どうなるかなと思ってましたが、やはり表現の仕方がややいい意味で切迫している感、焦燥感みたいなものがある映像になってるように思いました。字体の表現しかり、光の演出しかり、CD音源とは違うように感じた。エルマ楽曲以上にですね。

あと、ヨルシカの楽曲、そうか、ワウペダルを使っている楽曲があったんだなあと今更思いました。

そして、間髪入れずに「歩く」。「歩く」もかなりアッパーなソングなので、盛り上がりますね。それで映像、これはありますね。

この楽曲自体はエルマ曲ですので、映像自体の切迫感はありませんが、男性が歩く映像がずっと流れてます。

男性はおそらくエイミーを表現していると思いますが、直近のMVをここで引っ張ってきます。

このMVを受けて、

このツイートが鋭いですね。確かに、って思いました。

これも確実かどうかは分かりませんが、そういう風に解釈するとただ歩いているだけではなく、それはどういう方向にエイミーが進んでいっているのか、それが何を表しているのか、ということを言葉で表現せずに映像にメッセージを入れている。ジブリ映画でもですが、そういうのはよくあるのでヨルシカもそういう風な魅せ方をすることを知っておきましょう。

14)心に穴が空いた  there’s a hole in my heart

はい、次。「心に穴が空いた」。

映像では、終始一貫して、写真を撮っているところ、細かくいうと、焦点を合わして写真を撮り、その一枚一枚が机の上にハラリと落ちていくところです。

この映像の解釈としたら、エルマが旅をした痕跡が「写真」であるので、それが何個も積もり積もっていく様を表現したものです。あと、机のうえに、「月夜」のインクが置いてありますね。

ヨルシカの「エルマ レビューi」でも書きましたが、AL「エルマ」はやはりこの楽曲が一番表現しているので、YOUTUBEでライブ映像を持ってこられたので、

「よかったー」

という感想です。

そして、個人的なポイントは、最後のサビのところで、suisさんが音を伸ばす時に上を向かれて、『穴の開いた僕だけ』と歌い切った後にうつむいておられます。

ああ、ここまで表現しているんだなあと。AL「エルマ」っていうのは何回も書きますけど、ルンルンで旅していたわけではなく、心に穴が空いた状態のエルマが、うつむいて、彷徨っている旅なので、こういう表現をライブでもするとかすげえなあと思いますよ、僕は。

15)フラッシュバック Flashback

フラッシュバックについては、

既存のインスト曲をアレンジしてると僕は思ってます。

出だしのところはこれかなあと。

そのあと、

これかな。

なんといいますか、神々しいですね。

16)パレード parade

次は、「パレード」。

パレードの楽曲、かなりいいですね。

それにあわせて、びっくりしたのは映像と演出です。下から、小さな光の玉が無数に上がっていく映像、そして、背景には、壊れた部屋と、外には星空と輝く月があるというものでした。部屋というと、藍二乗の部屋っぽいなあと思いました。パレードのMVでは和室っぽい感じがしましたが、MVもライブの映像でもあっちの世界という雰囲気に感じました。エイミーがいったあとの死後の世界みたいな。

あと、部屋が壊れて、雑草が生えている映像がバックでながれているんですけど、なんだか左上の方が星空が見えるようにか、壊れていて、屋根とかがなくなってます。でも、この部分って、なんだか桜が表現されているような濃淡なんですよね。それで思い出すのが、「春泥棒」。

この不思議な桜のようなものが、背景の映像にあるような気がします。気がするだけです。そして、最後のところで、終わりのピアノの音、CD音源と違って、上がっているのかな。終わり方がちがいましたね。

17)海底、月明かり seabed, moonlight

これはインスト曲でしたので、ちょっと休み時間になったのでしょうかね。

海の底から上を見上げて月明かりがみえるという状況です。

ここでポエトリーがないのは、この楽曲はAL「エルマ」の楽曲でエルマ曲なので、純粋にはエイミーがみた月明かりではないから、かな。

18)憂一条 sorrow

次は、「憂一条」。

聴いていて思いましたが、この「憂一条」が「海底、月明かり」につながります。というのも、「憂一条」がエルマの心情を表現したエルマ曲で、湖の底にいるような感じを歌詞にしているんですけど、この楽曲の作成タイミングが

ヨルシカ 「エルマ」 レビュー ⅰ

やはり、「海底、月明かり」よりも後になります。思い出しました。なので、エルマは、例の桟橋ではないけれど、割と近くの海の中に潜ったときに「海底、月明かり」のイメージができ、そのイメージを持って「憂一条」を作成した、という流れなのかなあと。

さて、ライブ映像ですが、suisさんが階段に座りながら歌ってます。

曲の雰囲気からして、かなりこの座ってというのが合いますね。ただ、これも演出で、映像ではわかりづらいと思いますが、階段って中心からしたら右後ろにあるんですね。そして、バックの映像として、

月齢と月の名前一覧表。満ち欠けで変わる呼び名とは – 気になる話題・おすすめ情報館 (netwadai.com)

新月から繊月、そして三日月に変化していってますが、suisさんとちょうど反対方向に月の白い部分があり、その部分が大きくなっていってますね。

ここでは、ちょうど反対にあることで、月を見上げているという綺麗な構図になっているんじゃないかなと思います。それが、「海底、月明かり」と、「憂一条」のイメージにあった演出だとね。

19)ノーチラス Nautilus

次は、「ノーチラス」です。

ノーチラスは本当にいいですね。

ノーチラスにおいての「朝焼け」について、ちょっと上の方で書きましたのでここでは詳しく書かなくて大丈夫かなと思います。あと、YOUTUBEにこんなコメントを書いておきました。

どどり
どどり

1:40ぐらいではっきり分かるのは、白いスモークを邪魔にならないくらい焚いてます。

しかも、それが上の方に行きすぎないように、でも上にはあるようにスモークが。

ということは、はっきりさせすぎないように、そのスモークにライトを当てて、朝焼けの雲を ライブで表現してるんじゃないかなあ。

凝ってるなあ。

パッと映像だけで終わらせるなら、わざわざスモーク焚く手間なんてとらないし。

ここまで書いてみて、なんだか、演出からしても、「朝焼けをどう魅せるか」について、並々ならぬ執念みたいなものがあるように僕は思うんですよね。気のせいかな。

20)走馬灯  Flashback

このポエトリー部分は海の底に沈みながらエイミーが頭に浮かんだもの、走馬灯についての言葉を連ねている。

21)だから僕は音楽を辞めた so i quit music

最後の楽曲ですね。「だから僕は音楽を辞めた」。

映像自体は、まとめみたいになってますが、エイミー曲なので、藍二乗の映像とか、ライブで流してきた映像を入れ込んだまさに「走馬灯」を含めた映像になってます。

これは映像というよりも、演奏に対しての思いですね。力強い声だったり、演奏している姿の荒々しさだったり、気持ちが入っているところをみないといけないなあと思います。よかったです。

22)生まれ変わり ~ エピローグ  Reincarnation ~ Epilogue

はい、これが最後の部分ですね。

ここのところについて、ツイートしました。

この部分にツイートについての解説です。

たしかに、僕もAL「だから僕は音楽を辞めた」、AL「エルマ」の初回限定版のストーリーなどを踏まえて、二人の間には、恋愛感情ではなく、尊敬の念、エルマがエイミーを「崇拝」に近い思いを持っているのではないかと持ってきてました。

しかし、今回のライブ月光再演のまさにこの「生まれ変わり」のポエトリー部分ですね。ここには、純粋に、音楽を愛し、お互いの音楽の才能を愛しているだけでは説明がつかないようなものがあったなあと僕個人は思います。というのも、死ぬことを覚悟して海に飛び込み、エルマに宛てた「木箱に入った歌詞、手紙」といった自分の人生を表した作品を残したことで、もう思い残すことがなく、満足してしにゆくところだったんですね。でも、ここでエイミーがもう一度エルマに会いたいという風に思ったのは、エルマの音楽に対してのものというよりもエルマという人間自体に向けられたものに捉えることができます。しかし、それはもう遅すぎる状態で、もう人生を終わらせるボタンみたいなものを押した後ですので、戻りはしないんですけど、それでも会うために「生まれ変わり」をすることになった。つまり、「生まれ変わり」っていうのは、自然になったのではなく、エイミーの怨念に近いぐらい強い愛というか想いに突き動かされた結果の、ある意味不思議な手段であるということかなあと。

それで、エイミーがいろんなものに生まれ変わっていくということになる。エルマが同じようなのかは分からないけれど、もしかしたら、この物語、というかヨルシカっていうと、エイミーに当たる人物が、何度も何度もエルマに当たる人物を見つけだすというループを永遠にしているかもしれませんね。

エピローグでは、ちゃんと木箱をエルマが受け取る映像になってます。それにしても、suisさんがエルマを完コピしようとしてますね。すごいです。

最後に at the end

長々長々と記事を書かせていただきました。これで一般向けの記事は終わりかなと思います。続きとして、いつもの「補足レビュー」も書いていきますが、とりあえず完成ということでお願いします。補足レビューでは、特典の地図についてあれこれ書いていきます。じつはこっちの方が、語りたいことが多いかもしれません。そんでは。

どどり

I wrote an article for a long time. I think this is the end of the article for the general public. As a continuation, I will write the usual “supplementary review”, but for the time being, please complete it. In the supplementary review, I will write about the map of benefits. Actually, this one might have more to say. Then.

dodoly