ヨルシカ 「エルマ」 レビュー ⅰ

ヨルシカさんのアルバム「エルマ」についてのレビューです。

かなり長い文章ですが、以下どうぞ。

(↓アマゾンさんの広告です。貼れるようになりました。かっこいい。)

https://amzn.to/30gCaHE
エルマ(初回限定盤)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

アルバム『エルマ』という物語。

最初

さて、はじめます。

このアルバムでの主人公といえる「エルマ」が「エイミー」の面影を追いかけている情景。

その折々に、エルマの心が重く沈んでいて、放浪しているかのような空気、しかし、

それは、すーっと、風が流れるようで、このアルバムの最初から最後までその空気が、音楽が流れているように感じる

最初の3月の日記から9月の日記まで、エルマの心が日記の文字となって、楽曲の歌詞とメロディーとなっている。

なんだか、ヨルシカの曲は夏という季節に焦点が当てられている気がする。

春から少しずつ変化して夏に移り変わる景色だったり、

雨を印象的にして「梅雨」が終わったあとに訪れる夏の予感を表現しているようだったり、

日が暮れる夏の夕方のもの悲しさといったものが、このアルバムには入っていたように感じた。

もちろん、このアルバムの主人公はエルマという女の子だけれども、

その女の子が、ただ無機質に、部屋の中で、エイミーという男の子をもはや「崇拝」の対象となる人間を思ってただただ日々の生活が過ぎ去るのを待つのではなく、

彼の面影を追いかけ、彼が書いた手紙や写真といった「彼の痕跡」を目的地のようにして、先ほど書いたように「放浪」するかのように旅をしている

なんだかそれはある意味、執着し、死んだような、まるで幽霊のように見える気もする。

「憂一乗」

この曲は、エルマがそれこそ水底に沈んでしまっているかのように、

暗いところにるような心情を表現している気がした。

曲調はすごく表現が綺麗。

僕の体験からすると、ちょっと深いプールや、1メートルから2メートルほど潜れば小さな貝が取れる海で、

潜り終えてから上にある水面を見たときに、こういう風な静かさが感じられた。

もちろん、ずっとプールの底にいるわけでも、海の底にいるわけではなく、

息が続かなくなりそうになったら、自然と上の方へと上がっていく。

でも、エルマはずっと水底にとどまっている、そういう心情。

この曲でのエルマの心情としては、僕らと同じ人間のようでなく、

たしかにじっと暗い水底にいる山椒魚みたいに思えてくる。

「夕凪、某、花惑い」。

僕はヨルシカの速い曲が好きです。

なぜかというと、演奏自体もスピード感溢れて、ギターとか弾いてて楽しいだろうなあと容易に想像してしまうから。

あと、ボーカルのsuisさんの声なんですけど、

早い曲の特にサビになると、声にブーストがかかっているように聞こえる。

ブーストっていうと、ただ単純に声のボリュームが上がっているだけと思われかねないけど、そうではくて、声の質が変わるという意味の方が分かりやすいかもしれません。

普通、強く歌うとその分だけ声が鋭くなって聴きづらくなったりするけれど、

suisさんの場合、声が強く伸びると一緒に、「ツヤ」が出ているような気がする

こんな声聴いたことはないなあと。

僕がヨルシカの曲を知ったのは、spotifyの『ずっと真夜中でいいのに』プレイリストを聴いていた時だったんです(気がする)。

プレイリストでは同じようなアーティストを選んで作られているので、特別趣向に合わないってことはなく聴いていました。

しかし、何曲か聞いていて、突然曲が始まってすぐに、「はっ」としてしまった。

すぐにお気に入りに登録して、それからアーティストの名前を見ました。

「ヨルシカ」。

その時に曲が、「あの夏に咲け」だったなあ。

戻ります。

インタビューとかであったかもしれないけど、ここではエルマが「僕」として歌っている。

エイミーになりきってエルマが「夕凪~」を歌っているらしいけど、エイミーが歌っているように感じてしまう。

でも「…思い出す…」だから、

エルマなんだろうかなと。

ちょっとこのアルバムの曲を僕なりに時系列にまとめてみました。

  1. 車窓  tr.01
  2. 夕凪、某、花惑い  tr.03
  3. 湖の街 tr.05
  4. 神様のダンス  tr.06
  5. 雨晴るる  tr.07
  6. 歩く  tr.08
  7. 森の教会 tr.10
  8. 声  tr.11
  9. 海底、月明かり tr.13
  10. ※六月は雨上がりの街を書く
  11. ※冬眠
  12. ※負け犬にアンコールはいらない
  13. ※エルマ
  14. 雨とカプチーノ  tr.04
  15. 憂一乗  tr.02
  16. 心に穴が空いた  tr.09
  17. ノーチラス  tr.14
  18. エイミー  tr.12

この順番になるかなと思いました。

間違っていたらすみません。

※は別アルバムですが、意味があってこのなかに入れてます。

それで、このような順番にまとめてみたのは理由があって、

「エルマ」というアルバムはストーリー伝いとなっていて、

そのときのエルマの「心情」、「考え」が曲に大きく影響を与えていると思うからです。

まあ、こういう流れとかは、

普通の本業ライターが書くアルバムレビューではなく、趣味でファンの方がまとめるもんだと思ってます。

考察まではちょっとできないので勘弁してください。

(僕のこの記事をグーグルで検索する際に、

「~ 考察」でも調べられている方がかなり多いですが、『考察』といえるほどのものかどうか…)

さて、もどります。

「雨とカプチーノ」。

この曲は、 心に穴が空いている状態のエルマが、

エイミーが先に辿った道を行き、

エイミーの痕跡に「追いついた後」に書いた曲。

歌詞をみて思うのは、

追い求めているような歌詞ではなく、

エルマの、君との想い出をずっと持ち続けていたいという気持ちが表れている歌詞だなと感じました。

ちょっと脱線します。

気ままですが、アルバムのストーリーに出てくる場所の流れと、描かれている情景をまとめてみました。

コペンハーゲン【デンマーク】

https://www.travel.co.jp/guide/article/36304/

→マルメ【スウェーデン最南部】

https://dent-sweden.com/northern-europe/sweden/malmo

→ルンド【スウェーデン南部】

 :ここでは、ホステル、広場、民家の外壁、大聖堂にエルマが立ち寄ってます。

https://jp.123rf.com/photo_43101208_%E3%83%AB%E3%83%B3%E3%83%89%E3%80%81%E3%82%B9%E3%82%A6%E3%82%A7%E3%83%BC%E3%83%87%E3%83%B3%E3%81%AE%E5%8F%A4%E3%81%84%E9%83%A8%E5%88%86%E3%81%AE%E8%B6%A3%E3%81%AE%E3%81%82%E3%82%8B%E5%B0%8F%E8%B7%AF.html

→ヨンショーピン【スウェーデン南部】

https://skyticket.jp/guide/70935

→リンショーピン【スウェーデン南部】

https://4travel.jp/travelogue/11259904
https://4travel.jp/travelogue/11259904

:ここでは野外博物館が出てきます。

→ストックホルム【スウェーデン首都】

https://www.travel.co.jp/guide/article/27780/

:ドロットニングホルム宮殿近くのカフェ、ガムラスタンのベンチが出てきます。

→ゴットランド島 ヴィスビー

https://4travel.jp/travelogue/11367257
https://www.instahu.net/tag/%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%83%A1%E3%83%80%E3%83%BC%E3%83%AB%E5%85%AC%E5%9C%92

 :アルメダールの公園、ここでもベンチが出てきます。

→ゴットランド島 ヴィスビー ~ フォーレスンド

 

https://fikadags.wordpress.com/2015/09/28/%E3%82%B4%E3%83%83%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%89%E5%B3%B6%E3%81%AE%E5%8C%97%E3%80%81faro%EF%BC%88%E3%83%95%E3%82%A9%E3%83%BC%E3%83%AC%EF%BC%89%E3%81%B8%E3%80%82/

:教会が出てきます。

→フォーレ島

 

https://en.wikipedia.org/wiki/F%C3%A5r%C3%B6

:奇岩群があります。

→ゴットランド島 ヴィスビー

https://4travel.jp/travelogue/11537233

 :中世週間、アルメダールの公園、ベンチ。ちょうどイベントの真っ最中でした。

→ゴットランド島 フォーレスンド、ヴィスビー

https://www.teikokushoin.co.jp/photograph/world/photo/sweden/3_8.html

:教会、砂浜、桟橋、岩陰、宿、サンタマリア大聖堂の階段、ベンチ、朽ちかけた桟橋、船着場が出てきます。

いやー、まとめると言っておきながら、ごちゃごちゃしてますね。

さて、

これを踏まえると、「雨とカプチーノ」という曲は、最後のフォーレスンドの宿で書かれたもののようです。

本当に思うのは、このエルマというアルバムでは、

「いつ」、「どこ」での歌なのか

を考えずに、ただ読んでいるだけでは全く分かりません。

なので、とくに「どこ」っていう場所位置を整理しみました。

グーグルマップです。

これで分かりますが、相当な距離を移動をしていますね。

エルマ、頑張って移動してます。

「神様のダンス」。

これはストックホルムのガムラスタンでの曲。

まだエイミーの面影を追っている途中で、自暴自棄になりそうな心情を歌っているように思えました。

特に、ギターの音がかなり歪ませてあるのが印象的で、そういったことも含めて曲に表現しているのでしょうか。

「雨晴るる」。

ガムラスタンで滞在しているときの曲。

この曲では『藍の色』、『愛の歌』、『群青』という歌詞が気になりました。

さきほどの「神様のダンス」と同じような自暴自棄となった心情があるかなと感じれました。

ヨルシカの曲で、たまに激しい言葉が使われていることがあり、それがすごく印象に残ります。

「雨晴るる」では、

 ”消えろ 全部消えろ 声も言葉も愛の歌も”

Album エルマ 「雨晴るる」より

という部分が強いなと。

他の曲ではアルバムは別ですが、「爆弾魔」という曲が個人的に印象に残ってます。

この曲もいい曲なんです。歌詞が、歌詞にやるせなさだろうか、生々しい、棘がある。

それがいいな思ってます。

ヨルシカ:「爆弾魔」

「歩く」。

ゴットランド島、ヴィスビーでの曲。

この曲の歌詞を読んで思ったのは、あとで取り上げる「ノーチラス」との違い。

「歩く」では、エルマがなんだか漂う様に、眠りながら彷徨っているように表現されていて、まさに心に穴が空いた状況だなと思います。

一方、「ノーチラス」では、エイミーがエルマに対して、

”もう目を覚まして。見て。”

album エルマ 「ノーチラス」より

という歌詞がある。

あと、ここは重要なポイントがあると勝手に思っています。

それは「。」です。

なぜかそこだけが歌詞なのに句点「。」があります。他のヨルシカの曲ではありませんでした

この意図を考えてみました。

僕の考えとしては、エイミーがエルマに対して、強く呼びかけをしているように思えてならないです。

この口語表現は、歌詞というより、なんだかなあ、穏やかな叫びに近いと思いました。

さて、「歩く」についてです

この曲については、

もう死んでしまったエイミーの後をたどることに何の意味があるのか分からない心情があると解釈しました。

意味を見つけたい訳でもなく、エイミーと話をしたい訳でもなく、ただただ彷徨っていると受け取れました。

「心に穴が空いた」。

ゴットランド島のフォーレスンドで、「雨とカプチーノ」、「憂一乗」を書き終えてからの歌。

楽曲を聴いた当初は、僕自身、この楽曲はそれほど強い曲ではないと思ってました。

アルバム「エルマ」が発売される前に先にリリースされていた曲であるとは知っていましたが、

あまり意図や曲自体が持つ良さが僕には伝わらってこないなあ、という印象を持っていた。

MVも観てなかった。

その後、「エルマ」というアルバムの全曲を聴き、

その中に入っているエルマの心情であったり、

その散りばめられた歌詞を読んだうえで、

この『心に穴が空いた』という言葉がとてつもなく強い意味を持っているという思いに至った。

改めて聴くと鳥肌がたった。

すごい曲でした。

このMVがとてつもなく、楽曲を支えている、歌詞と音で表現できないところを描いている気がした

人形として出てきているエルマに顔がなく、

体に穴があいているその人形がアルバム「エルマ」の舞台となっている場所を旅する。

このアルバムのコンセプトそのものです。

その一つ一つの場所、風景、撮影された映像が、

本当にこの物語を伝えたいという思いが一つのMVに詰めこまれていたとしか思えなかった。

いいMVだと思う。すごいと思いました

「心に穴が空いた」の歌詞では、

自分がエイミーを模倣していたことを受け止め、

それでもエイミーという存在が自分にとって大きすぎたことを、

この曲を作った時点と揺蕩っていた時間を踏まえて、振り返って書かれたものと察する。

そして、

この曲を書くことに辿りつかなければ、

9/12の日記の文章とはならなかったと思う

「声」。

フォーレ島での曲。

まだ、エイミーの痕跡に辿りついていない。

辿りついたあとに、エイミーに対してさよならという言葉をかけようとしているとかそんな意味があるのかどうかをあれこれ考えてみましたが、どうもよくわかりません。

なんでしょうかね。

でも、このフォーレ島がこのアルバムでの折り返し地点のような気がして、

この曲でのエルマが寂しさと虚しさみたいなものが、エイミーの痕跡に辿りつかず、

途方にくれているという心情なんでしょうか。

やはりわかりません。

「エイミー」。

9/12の日記にあとでエルマが書いた曲。本来のエンディング曲

ゆえに、とっておきの仕掛けがありそうな曲かと勝手に思ってます。

まず、明らかに、歌詞の筆跡がことなります。

今までのエルマの筆跡ではなく、女性らしいというか丸みがある文字になっている。

そこから、今までずっと日記で書いていたのはエイミーの筆跡を真似たものだったのかなと思います。

丸みのある字がエルマ自身の本当の字ということ。

でも、9/25の日記は…なのでどうでしょうか。

次に、これはなんだかさっき気づいたことなんですけど、意図的に歌詞の中に数字が順番に使っているような気がします。

最初の歌詞から、「1、2、3、4、5、6」、二番で「10、100」の文字がありました

これは、、、なんでしょうか。

数字遊びとか分かりませんが、歌詞選びが自然すぎて、ほとんど気にならないものでした。

どんな意図があるのでしょうか。

それでも、この曲の中での強い歌詞は

”もういいよ”

album  エルマ 「エイミー」 より

ですべて表れているかと思います。

”もう”とか”ほら”とか”さあ”とか、

今までずっと心に穴が空いて、苦しんでいるのもよく分からなかったエルマの心情が明らかに変わっているかのように表されている、と僕は思います。

投げやりをするのではなく、今までを全部振り返って、エルマはこの曲で自分のこれからを表現しているんじゃないかなと。

だって、エルマにとってはこの模倣の、彷徨う旅の終着点はおそらくエイミーと同じように「死」だったんじゃないかなと思っていて、

それが、変わったというのを意味しているんじゃないかな。

「ノーチラス」。

エイミーが残した曲。

この曲では、特にエルマのための曲という印象が強いです。

エイミーは、エルマに目を覚ましてほしいという願いを持っていたことが歌詞からわかるのですが、

やはり自分としては、日記の105ページで書いてあることがすべてかなと思います。

さて、補足です。

補足:2022年3月12日

ちょっと前ですが、ノーチラスのMVのところで、これは夕焼けなのか朝焼けなのかという疑問が自分の中にあれこれと生まれました。

一応、結論です。

という風に他のファンの方に返信してましたが、

これはけっこう僕の思い付きというより、やや推測にすぎなかったんですよねえ。

だから、もうちょっと考えてみようかなということで、今日の午前中にうだうだと考えてました。

他の方が書いているレビュー記事とかみていて、やや夕焼けという風にかいているものが多くて、というのも「夜紛い」という楽曲があるから、やや夕焼けの曲とみなされても確かにありそうでしたので。

それで、MVを見返して、スゥエーデンの朝焼けと夕焼けとで何が違うとか考えたりしました。

でも、正直どちらもいえてしまう感じがして、

ああこれは楽曲がイイタイことが正しいということで結論づけようかなと思ってましたが、

この動画、MV製作の方が「朝焼け」である旨、お話しされてました。

それをしったときの反応です。

雲の所は個人的に納得しただけなので無視してください。

このMVの作られ方などが動画で話されてますが、「朝焼け」であるかどうかはもちろんヨルシカ側から話したうえでだと思います。

じゃないと、できないですよね。

「朝焼け」であるか、「夕焼け」であるかって実際どうでもいいことに思われそうですけど、

ちがうんですよ。

ヨルシカにとっての「ノーチラス」という楽曲の位置づけがかなり大きいことを知ってますし、ヨルシカのとって「夜」というものがどんなコンセプトのようなものになっているかってなんとなく想像つくかなあと思います。

そんな楽曲が、

「夜に入る前の夕焼け時に歌った楽曲なのか」、

「夜が明ける前の朝焼け時に歌った楽曲なのか」

とではとんでもなく意味合いが違ってくるんです。

というのも、エイミーはもう死んでいるため、「夜」に近い存在、概念(?)になってます。

だから、エルマが「ノーチラス」の楽曲に接したあとに「夜」を迎えるということは一層エイミーに近づいていくことを意味します。

でも違うでしょ。

エイミーが残した「ノーチラス」というのは、エルマを目覚めさせる曲であって、自分という存在から解放させるみたいな、一種の離別の意味もあると思うんです。

だから、エルマまで、同じ結末を迎えてはいけない、迎えさせたくないということ。

そういう解釈ができるんじゃないかなと思います。

そして、

「ノーチラス」という楽曲では、

夜が明けているんですね。

つまり、

ずっと夜の中にいたところから、目を覚めまして、朝を迎えていくということ。

あと、ヨルシカの楽曲っていうのは「エイミー」にあたる存在と、「エルマ」にあたる存在という二つの関係が重要であると思っています。

「エイミー」が独りで自己完結したものではなく、

自分の無力さややるせなさ、また期待を「エルマ」に楽曲で託したという風に思えるんですね。

ということを数年経った今、そうだなあと思いました。

2022年でライブ「月光 再演」が今開催されてますが、

もうちょっとそういったところがライブで表現されてたら見てみたい気がします。

あと、追加で気づいたことが。

なんと、「朝日」ってちゃんと教えてくれてたんだなあと。

そこをすっっとばしてました。

そういうこともありますよね。

しかも、このツイート、朝の10時だったのもそういう意図があったかもしれませんね。

(・・・失礼しました。夜の10時におはようございます、でしたね。)

終わり

書き終わりました。

さいごに。

このアルバムは、初回限定版を買わないと理解はできません。

僕もspotifyで聞いてましたが、このアルバムの内容は楽曲を聴いてどうにかなるもんではありません。

諦めて、買いましょう。

長々と失礼しました。

どどり

追伸:

この記事はかなり多くの方に読んでいただいてます。

本当にありがとうございます。

なので、やっぱりすこし恥ずかしい文章のところはその都度分かりやすい表現に加筆修正したりしてます。

もしご指摘あればお気軽にどうぞです。

続きです。こっちではかなり踏み込んだことを書いてます。

もうちょっと読みたい方はぜひよろしくお願いいたします。

ヨルシカ「エルマ」 レビュー ⅱ ヨルシカ:「月光再演」レビュー

2019年9月3日12時頃 加筆修正1回目

2019年9月3日17時頃 加筆修正2回目

2019年9月3日18時頃 加筆修正3回目

2019年9月3日19時頃 加筆修正4回目

2019年9月3日19時頃② 加筆修正5回目

2019年12月3日0時頃 加筆修正6回目

2019年12月10日7時頃 加筆修正7回目

2020年2月11日20時頃 加筆修正8回目

2020年6月18日23時頃 加筆修正9回目

2021年1月27日10時頃 加筆修正10回目

2021年12月30日0時頃 加筆修正11回目

2022年5月25日20時頃 加筆修正12~13回目

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください