ヨルシカ 『創作』レビュー Yorushika “Creation” Review

はい、こんばんは。

どどりです。

さて、これを書いているのは2月1日になったばかりの夜です。

ヨルシカの新譜である「創作」EPのレビューを書きます。

発売日からすこし時間が空いてしまいましたがちょこちょこ書きます。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「創作」レビュー

今回のEPでは、5曲入っています。

ただ、特徴としては、タイプAとタイプBと2パターンのCDが発売となりました。タイプAはちゃんと楽曲が入っているCDが入っている一方、タイプBではCDさえ入ってなく、からっぽでした。歌詞カードを買いたいためか、グッズが欲しいためか購入理由はさまざまだと思います。ちなみに僕は迷いなくタイプBを買いましたよ。だって、面白そうですもん。

さて、早速ですが、まずは公式でのインタビューを読んでくださいね。

ヨルシカ – EP『創作』特設サイト

はい、インタビュー内容ですが、もうはっきりとこの「創作」EPの目的をお話されてましたね。

清々しいぐらいです。

前作のアルバム「盗作」でも、アルバムに対しての多くの人の行動がどんなものになるかをもはや実験にも思えるような観察をしているナブナさんでしたね。

まあ、それに対して、もしかしたら「反感」とか抱く人もいるかもしれませんが、まあ作曲の意図はそれはそれで、受け取った人の気持ちはそれに左右しないといけないわけではないので、適当にスルーしましょう。もちろん興味はもちますが、やっぱり楽曲に向き合いましょう。楽曲の生まれた背景を見過ぎると、妄信すると、楽しくないからね!

強盗と花束

それでは、まずは強盗と花束です。

これ、歌詞カード読んでいたら気になりましたが、「漢字、おかしくない?」って思いませんでしたか。普通、ひらがなで書くものをなぜか漢字にしているようでしたので、喉に小骨が刺さったみたいでした。

それが、「死にゆく貴方に花を上げたい」。これ、「上げたい」ってちょっと違いませんか。ここでの「あげる」って意味って、お花を渡したいって意味のはずです。それなのに、「上げる」ってちょっと違和感があったので調べてみました。確かに「花を上げる」って言葉選びはあるんですけど、例文では「供花を上げる」とかでした。渡すのではなくて、供えるって意味合いなんですね。でも、これまったく意味の捉え方だったり、言葉のイメージが全く変わります。ここでの「上げる」って、明らかに負のイメージですね。だから、ここでの花を上げるって行為は、もう諦めていて、どうしようもなくて、っていう意味合いに僕はとっちゃうなあ。面白い。

次は、「終わった方が未だ増し」。これは、日常的にも使っている「マシ」と同じですね。そっちの方がいいなっていう意味かな。

はい、次です。

この曲名「強盗と花束」なんですけど、ちょっと勘違いしてました。歌詞読んでみると、ちょっと構造がありましたね。

どうも、「ある朝」に強盗をして、「ある昼」に花束を窃盗していると読めます。だから、花束を強盗によって強取しているわけではないんですね。

(インタビューでは、「花束を強盗している」ようにお話をされてますがね・・・。お二人とも、ホントに法律が嫌いなんだなと思います。尚、僕は法律好きですよん。)

「ある朝」の方では、家具が欲しいからおとなりさんの家に包丁を持っていったみたいです。「ある昼」は定休日の花屋さんに盗みに入っています。

つまりいいたいことは、だれもいない花屋さんに盗みに入ったのをね、「強盗」とは言わんでしょってこと。空き巣というか、窃盗というかそっちの分類になるかな。強盗というと、法律でもあるんですけど、暴行とか脅迫をすることによって金品などを得ることなのでね。ただ物を盗むことと、強取することとでは、かなり法的に扱いが違います。とりあえず、読み取ったことだけ書きます。

それで、面白いことは、その二つの行為について、「ある夜」では反省というかいろいろ省みたようです。いや、反省というよりも、「強盗」と「花束」の違いを問う姿が書かれてます。受け取った方からしたら変わらないモノだけど、犯罪の色が「強盗」にはある。しかし、それの違いはいったいどんないみがあるんだろうか、って言っているのかな。イイタイことは分かりそうだけど、もう少し咀嚼しないと納得いかないなあ。けど、面白いです。

あと、書いていて思ったことは、あれです。

朝に道を聞かば夕べに死すとも可なりとは – コトバンク

朝に大切な「道」を聞くことができたら、夕方に死ぬことになっても無念がありませんよっていう、論語の文章を思い出しました。

今回「強盗と花束」では、朝と昼のことを受けて、夜になって考えが浮かんだというものなので、かなり違うけれど、この雰囲気が僕は感じれたな。

長くなりましたけど、やはりsuisさんの低音はいいですね。

春泥棒

はい、つぎは春泥棒についてですね。春泥棒については、「創作」のリリース前にちょこっと記事を書きました。おおむねそこでの印象が残っていると思ってもらってオッケーです。

さて、春泥棒ですが、前作のAL「盗作」に出てきた、男と妻の思い出ような曲になってます。断定してしまうのはもったいないので、適度にぼかします。

春泥棒の曲名もナブナさんが話されてました。詳しくはインタビューを読んでもらったら大丈夫です。この楽曲では、サクラの花を命に例えていて、サクラの花びらが勝手に落ちることももちろんあるんですけど、春一番といった、春にふく強い風で、その花びらがサクラから離れて散っていきます。それを命に例えた場合、多くの命が、強い風によって、簡単に美しくもありながら散っていくというもの。ここでの風は個々人にそれぞれ与えられた「時間」を意味するみたいです。だから、時間によって、自分にとって無関係な命でも、大切な命であっても、なんにも関係ないかというように、簡単に命が流れるように散っていく。そんなことを歌った曲だと僕は解釈してます。

楽曲の歌詞の構成も見てみましょう。1番は男と妻の夫婦がお花見に行っている情景を歌ったもの。とても綺麗な桜の花を見て、言葉を失うほどの感動を覚えたように書かれている。しかし、2番以降は楽曲の穏やかさは変わらないものの、歌詞を見てみると、不穏な言葉が増えていきます。それこそ、「春泥棒」という言葉が出始めたところから、マイナスな雰囲気が出てきてます。これは妄想ですが、2番からは、妻の命になにかしらの問題が生じ、分かりやすくいうと、余命宣告をされたとかでしょうか。歌詞でも、「残りはどれだけかな」、「どれだけ春に会えるだろうか」といったように、自分の寿命を踏まえての言葉になってます。

3番では、「今日も会いに行く」、「明日も会いに行く」、「時間が散っていく」との言葉。前の二つは、明日も会いに行ける!というようなプラスの表現ではなく、病院の面会をしにいくような、どんよりとしたニュアンスが見えます。「時間が散っていく」って、時間が散るって言葉なんてなくて、「(残された妻の)時間が散っていく」というものだと思います。そして、4番では、花が少しずつ散っていく様が書かれていたりします。

さて、そういう風に書いてきましたが、実は読み方が二つあると思うんですね。

それを、このどどりのブログではアピールしておきます。

Aの見方:楽曲が進むにつれて、妻の容体が悪くなっていき、男の失望と焦りなどが表現され、最後には妻の命がさっと散って一句いくことを暗示しているようなもの。

Bの見方:男女が春の初めから春の終わりまでという短い期間において、毎日のように桜の花を見に行き、次第に春の終わりに近づいていくことを惜しんでいるようなもの。命などは関係なし。

これって、多くの方は、Aの見方を「したい」んですよね。

Aの方が、エモさがあるし、もしかしたら共感できる方もいるかもしれません。ただ、Aの見方だけをこの楽曲に持たせると、なんだか悲しい曲のみになってしまうじゃないですか。悲しい楽曲であればいいってわけではないと思うんですね。

また、Aの見方って前作ALの「盗作」を踏まえている方は、事前情報を知っていて、ストーリーを頭の中で作れるから感動できるんです。僕もですね。でも、Bの見方はそういった情報がない方が一回聴いたときに受ける印象であったり意味合いであったりするので、ただ単純に綺麗な楽曲のように受け取ることができるんですね。

この2面性ってのが、本当に味わい深いなあって思います。だって、無味乾燥な顔をしていると思っていたのに、今にも泣きそうな顔に突然見えてくるようになったとき、感情って揺さぶられると思います。

ダブルミーニングとかアホなカタカナで表現していいか分かりませんけど、その意味合いが確かにあるよってことは僕のブログでは書いときたいなと思いました。CM起用の楽曲であるとか、どうでもええんですよ。すごいことなんだけどね。

創作

はい、ちょっと記事を書く間が空きました。失礼しました。今日はもう2月10日です。どしどし書きます。

この楽曲「創作」ですが、歌はなくインスト曲になってます。

ヨルシカの特設HPのインタビューで話されていますが、独立して存在しない音だったかな、それらをメロディーにして構成されてます。

こういうの聴くと、レディオヘッドとか思い出しちゃうなどどりは。

鳥のさえずり、ラップ音とか、電車音とか、楽曲の中で普通構成をしないような音をメロディーに仕立てて作られている。ああ、だから創作なのかな。面白いな。

あと、この「創作」と次の曲「風を食む」はつながってます。バックでなっている音。最初はサーノイズ(ホワイトノイズともいうんかな)かなと思っていたけど、どうも屋外で、風が吹いているような音に僕は聴こえたなあ。

その音をそのままにして、つぎの「風を食む」につなげてます。

最初、「風を食む」が先に配信されたときからもこの風が吹いている音はありました。だから、もとからこの音ありきのものだったんですね。

「風を食む」については次のところで書きますので、ここではせっかくだから、このEPの名前でもある「創作」について、考えてみます。うーん。

ナブナさん曰く、「盗作」をリリースしたから、つぎはそれに対して「創作」を、と考えていたみたいです。では、このEPが「盗作」に対して与える位置づけってなんだろうかな。

わかんないなあ。

風を食む

「創作」を書いてみたところ、つながっている「風を食む」も書きたくなったので、書きます。

えっと、他のブログ記事で、楽曲の解釈を読んでみました。大抵、ナブナさんのコメントで「消費社会」がなんたらとかを受けての記事が多かったですね。まあ、ニュース番組のテーマソングになっているから確かに、なんですけど適度に受け取ります。

でもね、それは、「風を食む」とテーマソングとの関係での捉え方なのでね、僕はEP「創作」の中での「風を食む」を考えてみたいんですよ。

それで、ずっと思ってたのが、「春泥棒」での「風」の捉え方をそのまま踏まえたいなと。

「春泥棒」での「風」の捉え方は、「時間」でしたね。

だから、僕は勝手に、「時間を食べてる」って解釈してます。無形物である時間を食べるってのはよく分からんように思えますけど、これはつまり、自分の寿命の時間を過ごしていることかなと。この「風を食む」では、妻が亡くなった後、男が立ち直っているかどうかわからないけど、忘れることができず、ぼんやりと時を過ごしているような印象を受けます。

こういった楽曲の印象って、特にヨルシカにおいては、なんだか二面性みたいに感じるんですよね。ただ楽曲を聴いたら、日常生活、現代社会で過ごしているヒトの様子を優しく歌っているように捉えられるけれど、このEP「創作」の中に位置することによって、ストーリーによって楽曲の顔が変わってみえるんですよね。だから、ただ作者のコメントをそのまま受け取っただけじゃ、もう一つの顔、わかんないんじゃないかなって思いますよ、僕は。

あとはですね、このEP「創作」の中で唯一、犯罪っぽいニュアンスの曲名ではないなと思ったです。(3曲目は除く)

次で書く「噓月」は、インタビューでも、「泥棒のはじまり」ということで、ああ納得!っとなりましたが、風を食むは違うかなと。

この楽曲は、前回の僕の「盗作」レビューでも書きましたが、「花に亡霊」と同じようなものと捉えてます。それは、綺麗さ、かなと。日常生活リアルさの表情と、ぼんやりとした男の虚無感とがね、尊いなと思います。日本語、あってるかな。だから、どっちかというと、次の「嘘月」は「夜行」と似た匂いがするんですよ。

嘘月

はい、こんばんは。今日はもう2月14日になってしまいました。結構、時間あいてしまったんですけど、最後の曲について書きます。「嘘月」です。

この楽曲でポイントは、曲名でもある「うそつき」ということです。

嘘つきは泥棒の始まり、っていうことをヨルシカ公式でのインタビューでも話されてました。そこからの歌詞になってますけど、上手いなあと思いました。

ほら、嘘つきってのは、独りで変なこといっても嘘つきってならないですよね。相手に虚偽の情報を伝えて、それを信じたり、オオカミ少年からの情報のように聞き入れないとかのリアクションをするんです。自分がするわけではないんです。当たり前ですね。でも、それが歌詞に出てて、

「本当なんだ」

「そうなんだって笑ってもいいけど」

っていうのは、会話になるはずなのに、1人しかいないから、「ってもいいけど」って言ってます。

ということを、このEP「創作」の中で捕えると、男となくなった奥さんとの会話を、男が独り言のように呟いているかのような歌詞になってるんです。

あと、この曲を聴いたときに、比較というか、チェックしないといけない曲があります。「花に亡霊」。

「嘘月」という楽曲が、なぜAL「盗作」に入ってないのかも不思議だなとか思ってました。「盗作」の最後は「花に亡霊」で締めてます。映画のエンディングになっているとはいえ、「盗作」の最後に来てもいいんじゃないかなという印象です。

まあ、理由はどおあれ、「嘘月」と「花に亡霊」とが関係しあっているのはなんとなくわかります。両方とも、夜ですね。「嘘月」は夜ってわかりやすいんですけど、「花に亡霊」は作者のナブナさんいわく、AL「盗作」は曲順にしたがって昼から夜になっていくらしいです。その最後に位置している「花に亡霊」は、明るい夏の情景、君(亡くなった奥さん)といた時を亡霊のように見ていると解釈できます。

どっちが先か後かはどおでもいいんです。ただ、この楽曲同士が関係持っているような気がするんですよ、僕。

あと、これは勝手な解釈ですけど、最後の歌詞。

君の目を覚えていない

 君の口を描いていない

  物一つさえ云わないまま

   僕は君を待っていない

    君の鼻を知っていない

     君の頬を想っていない

ヨルシカ 「嘘月」歌詞引用

嘘ばっかりいうなよと。

全部、思っていることと反対な言葉を連ねている感じです。

全部、否定形です。

ストレートに言葉をただ連ねるよりも、まったく反対の言葉を歌詞にして、それを裏返したらこういう意味になるっていうことを聞き手に想像させる。

ただ、そのまま、字面をみたんじゃダメで、それをひっくり返して、その時の男の気持ちってのをここでの歌詞では痛いほどわかるような気がするんです。この部分の歌詞、さすがだなあと思います。

きっと、「そうなんだ」っといってほしいんじゃないかなと思います。

最後に

いやー、最後までで、いろいろお仕事したり、他ごとで遊んでいたら、レビューを書ききるのに2週間ぐらいかかってしまったみたいです。

だから、いつもやっているように、一日でバーッと感じ取ったものを文章にして、段落にして、動画挿入してってのを勢いではなくまったりやっているので、なんらかの評価は変わってくるかなと思います。

でも、このEP「創作」でも小説部分は少しでもほしかったなあ。

もしかしたら、蛇足になって、「駄作」に変わってしまうことを恐れてかもしれませんが、やっぱり「創作」でのストーリーは読んでみたかったなあと思います。

そんでは。

どどり