ヨルシカ「エルマ」 補足レビュー  Yorushika “Elma” Supplementary Review

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さて、ヨルシカのアルバム「エルマ」について、深堀めのレビューを書いていきます。

エイミーの名前の由来の妄想

”マーク・ロンソンは先日、エイミー・ワインハウスのことを「この世代では最高の作詞家の一人」だと評している。

エイミー・ワインハウスは2011年7月に、アルコール中毒のため27歳の若さで亡くなっている。今年の7月3日に、その生涯を描いた長編ドキュメンタリー映画『エイミー』が公開され、イギリスにおける封切週の週末の興行収入の最高記録を破っている。”

引用元 https://nme-jp.com/news/6126/

イギリスのシンガーソングライターで有名な方の名前が検索して出てきて、

この方かもしれないと思ってピックアップしました。

ヨルシカの曲を聴いている人だったら「はっ」っと気づくかもしれませんが、

27歳でこの世を去っています。

なんのことかといいますと、

「だから僕は音楽を辞めた」のアルバムの中にですね、「八月、某、月明かり」という楽曲があります。

その歌詞の中で、

”人生、二十七で死ねるならロックンロールは僕を救った”

引用元 「八月、某、月明かり」

とあります。

というところが、この物語の「エイミー」と、実在したエイミー・ワインハウスとが僕の中で勝手につながったような気がしました。

エイミーワインハウスはロックンロールではなく、ジャズやR&Bといったジャンルのアーティストだったようだから違うという指摘もあるかもだけど、まあそこは目をつむってます。

力のある、有名なアーティストだったそうです。

ネットの記事を見ても、惜しむ声が多くみられました。

グラミー賞もとっているみたいですね。

薬物とアルコール中毒に侵され、最後もアルコール中毒で致死量の量の摂取によるもののようです。

そういったことを無理やりですが、「エイミー」にくっつけると、僕の中ではなんだか納得してしまいました。

この人だな、と。

「エイミー」の最期については、ノーチラスのMVをみて分かるようなので特に書きませんが。

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エルマの名前の由来の妄想

僕は、

エルマ(対潜追撃砲)

だと思いました。

”潜水艦を浮上させ拿捕することを目的とした小型対潜迫撃砲である。あえて小型にすることで直撃しても潜水艦を撃沈してしまわない程度の威力に押さえてある。”

wikipediaより引用 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%AB%E3%83%9E_(%E5%AF%BE%E6%BD%9C%E8%BF%AB%E6%92%83%E7%A0%B2)

唖然としました。

この解釈はあまりにも難しい、よくわかりません。

単純に、ただ名前をとっただけ、ということにしたいなあと思います。

本当に無理に意味をつけるとすると、

まあ対潜追撃砲という名前通りなら、

『潜水艦を撃墜するための武器』

となるんですけど、このアルバムの中では、

『ノーチラスを浮上させるために使う武器』

の意味だったらどうでしょうか。

これまた、とんでもない解釈なんですけど、エイミーはエルマに対して手紙を残すことで、自分を救ってほしいと思っていたのではないでしょうか。

「ノーチラス」は、エイミーであり、エイミーの作った楽曲であると解釈。

もちろん、自分で命を絶つことを止めてもらうのではなく、自分の詩をエルマの才能で拾いあげてほしい、昇華してほしいという意図があったのでなないでしょうか。

エルマに自分の書いた詩を残したこと、

エルマには「ノーチラス」という楽曲を残したことで、

エルマ自身の才能に気づいてほしいと伝えた。

そして、

”「それなら君はエルマだ」”

エルマの日記より引用 86ページ

女の子に「エルマ」というニックネームを付けた。

そういったことをエイミーがしたのはそういう理由なのではないかなと思います。

しかし、

このエイミーの言葉に、そういう意図があったようには思えないところがやはり難しいなあと思います。

頭がこんがらがってきました。

ここまでにしておきます。

補足 2021年12月29日

ノーチラスの歌詞では、寝ぼけ眼でいたのはエルマと解釈できるのだけれど、

このノーチラスの歌詞が出来たあとぐらいにエイミーが命を絶っていること、それも水の中に沈んでいったかたちに

なっていることなどを考えると、やっぱりノーチラスに当たるのはエイミーなんじゃないかなと思います。

補足おわり。

追記:初回限定版の「エルマの日記」の筆跡について

今日は2020年6月23日です。

久しぶりに日記を読みながら「エルマ」を聴いてました。

6/22にツイートすべき内容でしたのが、思い出したようにしたものと考えられます。

特に意味はありません。

さて、そんな僕のTwitterですが、検索をしていたところ、こんなツイートを見つけました。

花林檎◂Ⓘ▸さんっていう方のツイートです。

まさかと思いました。

確かにアルバムリリースの時には、このアルバムをお亡くなりになられたwowakaさんに捧げる旨のツイートだったり情報はあり、なんとなく知っていました。

しかし、書体について、「基本的にはナブナさん自身の字癖で書いていて、ある部分だけは〇〇さんが書いているんだな」ぐらいな印象でした。

その工夫だけでもいいなと僕は思っていました。

でも、違いましたね。

wowakaさんの字癖まで調べてなかったですよ、さすがに。

見たらわかりますよ、

これは。似せようとしてますよ。

(書体について!)

な、なるほど!「734」さんという方が書いているらしいです(知らんかった笑)。

アートディレクターの方ですね。

この方も、執念があって、、、って書かなくても上のツイート内の文章(エルマ特設ページの文章)を読めば分かりますね…。

このアルバム「エルマ」は、

僕個人的には前作の「だから僕は音楽を辞めた」という確かに素晴らしいアルバムであるんだけれど、

ちょっと次元が違うものに感じていたんです。

なんか、空気感、出来具合があまりにも完璧すぎたんです。

昨年のアルバムリリース後ですが、僕のブログ「グローバルオブグローバル」は、特にアルバムレビューとかしっかりしたことがなかったんですけど、

このアルバムを聴いた後、午前中から書き始めて、ご飯を食べる以外なにも動かなくて、気づいたら日をまたいで次の日になっていたぐらい集中してレビューを書いた記憶があります。

そんだけ、このアルバムになにかあるんだなあと思ったらしいです、僕。

そんなことを振り返ると、ナブナさんというアーティストの執念の塊だったんだなと約1年ぐらいたった6月になって気づきました。

感嘆。

ちょこっとだけど補足しました。

あと最後に、、、

R.I.P

どどり