それでは、不思議な考察に入っていきます。
お久しぶりです。
そういえば、
気づいたら文藝天国の裏庭の動画について
まったく触れずに本編が終わってしまいました。
きっかけがまさに、
裏庭の動画を考察しようて思っていたのに、
です。
ここからはコアな方用の記事になりますので、
興味のある方はぜひよろしくお願いします。
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この動画はいったいどこで撮られたのか、
それはあまり明確になっていません。
それであれこれ探してみたところ、
この十字架はこちらのようでした。
地図でいうと、
ここです。
この白い十字架はなにかというと、
キリスト教関係の十字架で、
「おたあジュリア」
という方がどうもポイントになる感じがします。
そのため、調べてみましょう。
この記事が細かく、まとめられていたのでピックアップしました。
この白い十字架は確かに白色をしているので、
文藝天国のジャケット写真にぴったり合うのはそうなんですが、
その建物にメッセージが込められているということがよくあります。
(アルバム「破壊的価値創造」もそうでしたよね)
それで、この十字架からつながる、おたあジュリアにどんな意味があるかを調べて考えてみようというのが、
今回の考察ポイントだと思いました。
このおたあジュリアという人は、
キリスト教の信仰を持ち、
江戸幕府の徳川家康の寵愛を受けた女性である点で、
かなり高い位置づけがあったものの、
キリスト教禁教令により信仰を放棄するように命令を受けても、
信仰を捨てず、結果、伊豆諸島へ「島流し」という流刑に処されました。
その流刑地でも信仰を続け、
神津島という地でもキリスト教信仰を捨てなかったため、
その功績を賞し、
この白い十字架が建てられたという歴史があります。
(おたあジュリアはこの神津島でお亡くなりになられたかどうかはわかりません。)
なお、神津島は最近歴史考察のYOUTUBEでも頻繁に耳にする島で、
黒曜石が取れていた場所で、
かつ縄文時代、それよりももっと古代から何かあった場所だったと
されてます。
なので、そういう場所にあるということに神秘さを感じました。
さて、おたあジュリアのことを聞くと、
キリスト教を捨てるのを拒み、
その結果、島流しになったという風に認識されます。
それは確かにそうなんですが、
でも捉え方としては、
「国家に否定された信仰を、名もなき孤島でも守り抜いた女性」
と表現できます。
いいでしょうか。
この白い十字架は、
あくまで楽曲のジャケット写真です。
その楽曲が、
「μεταμορπηοςε」
です。
その映像(MF)ではまさに、

警察につかまったり、
注射を打たれたり、
収監されて監獄に入れられたり、
といった扱いを女の子が受けてます。
(普通、芝生の上で人が倒れていたときは、救急車がきますし、
警察に連れていかれ方はまるで「宇宙人」のような扱い・・・。)
その映像では罪を犯したかどうかは分かりませんが、
どうみても、患者ではなく囚人・罪人のような扱いです。
この姿というのは、
迫害を受けたおたあジュリアと重なるように、
この女の子が描かれ、創られていると思いました。
こういう扱いを受けても、
「変容」をすることで、
自分を保ち、
生き抜く。
そんなメッセージがあるように思います。
そして、
本編のところにも出てきましたが、
この部分を改めて考えます。

この白い十字架に、
あの
τὸ α καὶ τὸ ω
が掛かるようになってます。
だから、
これはある意味、
この白い十字架を意味する、おたあジュリアに対し、
「神様というものが、人が生まれてから最後まで見守ってくれている」
という言葉を捧げていると考えられると同時に、
おたあジュリアから、リスナーといった僕らに対し
「神様というものが、人が生まれてから最後まで見守ってくれている」
と言葉をもらっている、
というそんな二重の捉え方もできますので、
興味深い。
そんな儀式に似た、不思議な作品。
おしまい
どどり
音楽と考察の森 ”Groval of Global” 
